第11回「わん句にゃん句」発表
毎日 あっちっちですね!動物園のレッサーパンダが、思いがけない熱波に昇天とか。。。合掌。ところが今朝は、待望の雨、すっかり涼しくなりました。猛暑にまいっていた私も、生き返ったような気持ちです。
第11回「わん句にゃん句」発表されておりま~す♪
http://www.geocities.jp/hh_nippa/wanku/index.html
毎日 あっちっちですね!動物園のレッサーパンダが、思いがけない熱波に昇天とか。。。合掌。ところが今朝は、待望の雨、すっかり涼しくなりました。猛暑にまいっていた私も、生き返ったような気持ちです。
第11回「わん句にゃん句」発表されておりま~す♪
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5/10 四ッ谷龍
(ろうけんのまつげながくていちごえん)
(よつやりゅう)
「老犬」の長い「睫毛」から、穏やかな性格や落ち着いた風貌まで浮かぶ。
「苺」は夏の季語。でも最近は「苺」の消費量が最も多いのはクリスマスの頃らしい。
以前、冬苺の産地として有名であった静岡県久能山の南面の石垣を利用して栽培する石垣苺を摘みに行ったことがある。近年、ハウスによる温室栽培が急速に進んで、冬もたくさん出回るようになった。通常、苺狩の期間は、1月~5月中旬。若葉から梅の実がのぞく頃、ようやく露地ものの「苺」が店頭に並ぶ。
5/9 石橋辰之助
(いぬつれてあゆみつかれしあおあらし)
(いしばしたつのすけ)
木々の緑がひときわ濃くなった。明るい新緑の中、強い風が吹きわたる。5月の嵐はメイストームともいう。
明治42 年、東京・下谷生まれの辰之助は、まさに「青あらし」のような人生を歩んだ。「馬酔木」を経て、高屋窓秋とともに新興俳句運動の「京大俳句」に参加。さらに新興俳句の総合誌「天香」を西東三鬼らと創刊。新興俳句弾圧事件で「京大俳句」同人らと検挙され、作句を中断。戦後は「新俳句人連盟」に参加。昭和23年、急性結核により39歳で死去。
5/8 山口誓子
(いぬはしょにあえぐこくはんのしたをだし)
(やまぐちせいし)
立夏を過ぎた頃、1日ごとの気温上昇率は最大に近くなるのだとか。早くも夏到来という感じである。人間は、暑くなると汗を出して体温の上昇を調節する。しかし、足の裏にしか汗腺がない犬は、舌を出してハアハアと「暑に喘ぐ」ように息をして体温を調節する。長く突き出た舌に「黒斑」を認めた。
犬の舌は、健康的なピンク色をしているが、チャウチャウのように全体に青黒い色をしたもの、北海道犬や甲斐犬など、生まれつき舌に青黒いまだらを持つ犬種もいる。
5/7 篠原 梵
(いぬがそのかげよりあしをだしてはゆく)
(しのはらぼん)
無季だが、このように独特の視線で犬を詠んだ句は珍しい気がする。
「葉桜の中の無数の空さわぐ」で知られる篠原梵は、東大卒業後、中央公論社を経て中央公論事業出版社長となる。俳句は臼田亜浪(あろう)に師事。1975年10月、家族とともに郷里・松山に帰省中、肝硬変を発病し、1週間後に死去。
加藤楸邨、中村草田男、石田波郷とともに人間探求派として世に出ながら、不思議なほど梵のことは知られていない。俳句史の中でも影が薄い。なぜなのだろう。
5/6 細川和子
(ひろわれしいぬあらわるるりっかかな)
(ほそかわかずこ)
今日は立夏。二十四節気(にじゅうしせっき)では、この頃から立秋の前日までを夏としている。拾われた犬が、洗われてきれいさっぱり、家族の一員となった記念日でもある。心から「よかったね」と思う。
二十四節気は、太陽年をその黄経に従って24等分して、季節を表すのに用いる中国古来の語。立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨、立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑、立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降、立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒がある。
5/5 峰村浅葱
(いぬのめにはなせばこたうこどものひ)
(みねむらあさぎ)
5月5日は「子供の日」。端午(たんご)または菖蒲(しょうぶ)の節句ともいう。
誕生して初めての初節句は、武者飾りや鯉幟を贈るのが習わしとなっている。五月人形、飾兜、幟(のぼり)、吹流し、矢車、粽(ちまき)、柏餅、菖蒲湯、すべて夏の季語。菖蒲は、剣状の葉や強い香りが、邪気を祓う霊力があるとされ、子どもの生命力を強くするという。
「犬の眼に話せば答ふ」から、作者にとっては犬が、かけがえのない我が子のような存在であることがよくわかる。
5/4 丑山霞外
(はなずおういぬはあうらのやわらかし)
(うしやまかがい)
初めて「花蘇枋」を目にしたとき、ぎょっとした。どぎついほど濃い紫紅色の細かな花が、まだ葉が出ない箒のような枝に直接、びっしりかたまって咲いていた。
花名は、そのあざやかな花が、インドやマレーの蘇枋染めの色に似ていることから。中国原産で中国名は紫荊。樹高は7mにもなり、枝は分岐しながら斜めに伸びあがる。秋には長さ5~7cmの褐色の豆果が垂れ下がる。
晩春を彩る華やかで物憂い感じの「花蘇枋」の下を行く、伸びやかな犬の「足裏」。
5/3 篠原鳳作
(いぬといてはるをおしめるすいふかな)
(しのはらほうさく)
船旅の途中、陸にあがった「水夫」が、どこからか姿を現した犬と並んで、つかのまの休息を楽しんでいる。
「満天の星に旅ゆくマストあり」「しんしんと肺碧きまで海の旅」「幾日(いくか)はも青うなばらの円心に」は、鹿児島県出身の鳳作(1905~36年)が、長崎鼻を訪れたときに詠んだもの。
宮古中学の教諭だった鳳作が、夏休みに姉の住む那覇市まで船旅をしたときの句だと思うと、南の海の真っ只中、肺まで海の碧に染められるような感覚が伝わる。今日は憲法記念日。
5/2 高野素十
(いぬがきてねこかけのぼるはなあんず)
(たかのすじゅう)
雪国の春を彩る「花杏」は、中国原産の果樹。たんに「杏」といえば実のことで、信州が主な栽培地。葉に先立ち、五弁の花があでやかに開くと、一面「杏の里」の景観がひろがる。
梅や杏や桜や桃がいっせいに開花したら、見分けるのが難しいと思っていたが、「花杏」は、花がついている根本がとても赤いことに気づいた。よく見ると幹や枝も赤みを帯びている。どこか「猫かけのぼる」木にふさわしい気がする。
有名な句に「一村は杏の花に眠るなり 星野立子」。
5/1 二輪 通
(めーでーにつきくるいぬをおいいたり)
(にりんとおる)
「メーデー」は、毎年、5月1日に行われる国際的な労働者の祭典。1886年5月1日、米国で行われた8時間労働制要求のゼネストとデモが発端となり、89年の第2インターナショナル創立大会で決定、90年から行われた。
日本では大正9年(1920)に第1回が開催、昭和11年以降禁止されたが、同21年復活。労働祭とも。
近年、労働組合活動が低調になり、ゴールデンウィークで長期休暇をとる人も増えて参加者数は減少。デモの列に「従き来る犬」も寂しそう。
4/30 波田野雪女
(いぬとしょうじょかぜとなりなのはなばたけ)
(はたのゆきじょ)
「下総の国に入りたる花菜かな 井上史葉」という句があるように、のどかであたたかな常春の千葉県生まれの私にとって、「菜の花」は子供の頃から身近な存在。見渡す限り黄色で敷き詰められた「菜の花畑」は、少女時代の自分と出会えたような、幸福な色だ。
やっぱり「菜の花」の黄色を見ないと春が来たなぁという気分にはなれない、という人も少なくないのでは。花菜、花菜畑、花菜道、花菜風、花菜雨、菜種の花、花菜咲く、菜の花明り、花菜種も春の季語。
4/29 こしのゆみこ
(もうどうけんのにこにこあるくみどりのひ)
最近、「にこにこ歩」いている犬に出会うことが多くなった。その点、使役犬としてたいてい仕事中である「盲導犬」は、どこか無表情というか、喜怒哀楽を抑制したように淡々としている。「にこにこ」と愛想よく歩いていたのでは仕事にならない、という気もする。
クールな「盲導犬」も家に戻れば、本来の職務を離れ、家庭犬としてゆっくり穏やかに過ごしている。そうでなければ、心身ともに常に張り詰めていたら大変だ。
ほっと安堵するような、明るい句。
4/28 津田清子
(ここほれわんわんほってもほってもすなすなすな)
(つだきよこ)
花咲爺さんといえば「ここ掘れワンワン」。裏の畑でポチが吠えた。そこを掘ると小判がざくざく、のはずが、意地悪爺さんが掘ったところ‥‥「砂 砂 砂」。
なぜか、不条理の世界を砂に託して描いた『砂の女』(安部公房)を思い出した。
「千里飛びきて白鳥の争へる」「ホントニ死ヌトキハデンワヲカケマセン」「金魚死なせし透明の金魚鉢」「すきとほる滝壺すぐに死ねさうなり」「曼珠沙華真赤な嘘の形して」など、自在な句。大正9年奈良生まれ。蛇笏賞受賞。
4/27 高木みさ女
(あいけんしすはなかいどうにねむるかな)
(たかぎみさじょ)
八重桜が咲き出す晩春、淡紅色の五弁花を房状につけた「花海棠」が開く。中国原産のバラ科の落葉低木。
玄宗皇帝が、酔った楊貴妃を評した「海棠睡(ねむ)り未(いま)だ足らず」という故事から、眠花(ねむりばな)、眠れる花とも。中国名は垂糸海棠(はなかいどう)。花柄が長く、花が下向きに咲く。ほんのり赤く染まったまぶたを伏せているような優艶な風情がある。
作者は北海道在住。こうしたことをふまえて、眠れる花のもとに「愛犬」を葬ったのであろうか。
4/26 守屋明俊
(くもりびはいぬほえやすくくきたちな)
(もりやあきとし)
「茎立菜」は、アブラナ科の葉菜類の1つ。3~5月が旬。薹(とう)立ちした茎や葉を摘んで食する。春の遅い東北、北陸地方では、春を知らせる伝統的な青菜。
太い茎と葉は柔らかく、ビタミンC、鉄、カルシウムなどを多く含む。栄養的にも貴重な野菜だったようだ。花蕾(からい)を含む新芽は甘みがあってくせのない味。「茎立菜」を食べると春の訪れを感じる、という人もいる。
摘み取ってもすぐ新しい茎や葉が育つ。くくたち菜、晩菜(おくな)とも。
4/25 徳三郎
(いぬねむりねこあくびしてちょうまいぬ)
(とくさぶろう)
「徳三郎」は、コラムニストで評論家の矢野誠一さんの俳号。やなぎ句会のメンバーはほかにも、小沢昭一こと変哲、永六輔こと六丁目、加藤武こと阿吽、大西信行こと獏十、桂米朝こと八十八、永井啓夫こと余沙、柳家小三治こと土茶、というようにみなさん、ユニークな俳号の持ち主。神吉拓郎さんや江國滋さんも生前メンバーだった。
俳句でもやってみるかと毎月句会を始めて、30年以上続いているというからスゴイ。ある意味で、正統派の句会といえるのでは。
4/24 津吉 雅
(きょうけんびょうよぼうせっしゅやはなふぶき)
(つよしみやび)
毎年4月、公園などで「狂犬病予防接種」が行われる。「接種」前に、ジョニーと川沿いを散歩したところ、ちょうど満開の桜が散り始めていた。老齢になってからは、集団「接種」には連れて行かなくなったが、桜の頃になると思い出す。
30年以上も「狂犬病」が発生していない日本だが、「予防接種」は義務づけられている。
輸入ペットを通して「狂犬病」が蔓延する恐れがあるからだろうが、その資金をより有効に使えないものか。
4/23 林 藤尾
(ちくらふぶきずっとむこうにねはんのいぬ)
(はやしふじお)
春の嵐に散り急ぐような「桜ふぶき」。その「ずっと向こうに」、作者は「涅槃の犬」を見ている、というか感じている。それはきっと、犬の姿を借りた尊い仏であろう。
「涅槃」とは、煩悩(ぼんのう)の火を消して、知慧(ちえ)の完成した悟りの境地。一切の悩みや束縛から脱した円満・安楽、仏の悟りを得た境地だという。苦がなくなり、肉体も精神も一切が無に帰した姿とは、一種の虚無の状態といえるのでは。花のはかなさと潔さ、そしてもののあわれを感じる。
4/22 太田一貴
(花冷えや尾至る犬の馬鹿力)
(おおたかずたか)
一読、「あははは」と笑ってしまった。いいなぁ、「馬鹿力」。犬を曳く綱を通して、老犬とはとても思えないほど、あきれるほど強い力を感じた。「老いたる犬」から発せられるものだからこそ、しみじみとした感慨がある。
「花冷」は、桜が咲く頃に突然冷え込むこと。かなりあたたかくなったあとだけに寒さが身にしみる。
「老いたる犬の馬鹿力」に感心しながらも、健気なほど、がむしゃらに突き進む犬に、ふっと寂しさや無常の思いも胸をよぎったのだろうか。
4/21 村上鬼城
(いわふじやいぬほえたつるはしのうえ)
(むらかみきじょう)
子供の頃、庭に藤棚があった。紫に咲き垂れる藤の房は、ゆったりとして優雅で、晩春のもの憂い気分に合っていた。
古事記、万葉集、枕草子、徒然草はじめ、源氏物語の藤壺、舞踊や大津絵の藤娘、紋所の下り藤など、藤はさまざまな場面に登場する。藤色は紫の代名詞でもある。高貴な姿は、いにしえへと誘う。
切り立った岩肌にも鮮やかな紫の花を目にしたことがある。「岩藤」は、崖などに自生する藤であろう。観賞用にはない、たくましさ、激しさを感じる。
4/20 白澤弓彦
(はなちるやいぬのよろこびぜんしんに)
(しらさわゆみひこ)
桜の季節になると、自然に口を出てくる句。犬の「喜び」は、まさに「全身」で表現し、「全身」で花吹雪を受け止める。純粋無垢で開放的な犬の喜びようときたら、そばにいるこちらが恥ずかしくなるほど。人を幸せな気持ちにする。
作者は、膵臓がんで余命数ヶ月と宣告された中、渾身の想いで句集を上梓。「一切放下してマスクひとつのみ」という透徹した句境を開かれた(「放下(ほうか)」とは悟りを開き万事を投げ捨てる意)。桜を目にすることなく、2月8日に逝去。享年53。ご冥福をお祈り申しあげる。
4/19 古澤千秋
(かげろうやにだいのいぬのとおざかる)
(ふるさわちあき)
自転車、あるいは軽トラックの「荷台」だろうか。小さな「犬」が乗っている。
「陽炎」は、穏やかな春の日に、地上からの水蒸気により、地面から炎のような揺らめきが立ちのぼり、物の形がゆらいで見える現象。糸遊(いとゆう)、糸子(いとし)、遊子(ゆうし)、野馬(かげろい)とも。
車も「荷台の犬」もゆらめく「陽炎」に溶けるように遠ざかって行く。いったいどこへ行くのだろう。「陽炎」に吸い込まれて消えてしまうようで、白日夢の一場面を見ている気がする。
4/18 小林一茶
(しゅんぷうやいぬのねそべるわたしぶね)
(こばやしいっさ)
私の両親の故郷・千葉県佐原市は、水郷の中心地として知られる。水運で栄えた町なかには、堀が網の目のように巡らされ、舟が行き来していたそうだ。利根川の船着き場は、両岸に住む庶民の足として身近な交通機関であった。
私も子供の頃、お墓参りのため、たしかポンポン船と呼んでいた「わたし舟」に乗った覚えがある。道路や橋が整備されるまで、各地で舟による水上交通が盛んであった。
「わたし舟」に「犬の寝聳る」、のどかな光景もよく見られたことだろう。
4/17 小沢変哲
(むくいぬのおてをしたままりゅうじょみる)
(おざわへんてつ)
「変哲」とは、俳優の小沢昭一さんの俳号。その著『俳句武者修行』は、10の句会を道場破りした記録。
「徹子の部屋」にテレビ出演されたとき、「専門の方たちというのは、こういうふうにして(句会を)やっているのだなということで、逆に僕らは、もっといい加減にのびのびとやっていいんだなという自信がつきました」と述べられた。
「春愁や和而不同とはいえど」「論破してみた帰り道春愁ひ」「捨て猫と別れ難きに春日落つ」「春の日にそっとしてみる死んだふり」も。
4/16 鳴戸奈菜
(しろいぬのゆくすえなしのはなよりしろし)
(なるとなな)
「梨の花」は、日本原産の山梨から育成された。4月、淡い緑の葉に先立つように純白の五弁の花が開く。すると、あたり一面、清新な芳香に包まれるような雰囲気を漂わせる。
弘法大師を霊山に導いたのが「白犬」であったように、「白犬」は古来、神の遣いや吉祥のものとされていた。昔話に出てくる犬も「白犬」であった気がする。江戸時代以後の郷土玩具の多くが、「白犬」なのも当然かもしれない。
「白犬のゆくすえ」が「梨の花より白し」とは、なんとも清清しい。
4/15 加藤楸邨
(はなふぶきこをくわえたるいぬいずこまで)
(かとうしゅうそん)
パッと咲いたかと思うと、散るのも早い。桜は、はらはらと吹雪のように、きっぱりと散る。
地を覆うように敷き詰められた、白い花びらを踏みながら、時おり、肩に降る花びらを楽しみつつ、いささか感傷にひたる。そのはかなさや寂寥感を日本人は愛した。
なかでも江戸っ子は、満開の桜ではなく、三、四分咲きと散りぎわを愛でた、という話を聞いたことがある。それが粋というものであろうか。
「花吹雪」を浴びるのはどこか爽快でもあり、生への謳歌を感じる。
4/14 滝 勧進帳
(しろきいぬひとへてんしょうようかてん)
(たきかんじんちょう)
彼岸に愛犬を納骨したことをある人に報告したところ、「その犬は、いつかきっと人間になるのでは」といわれた。輪廻「転生」とは生まれ変わりのことだが、必ずしも人から「人へ転生」するとは限らない。人から虫、犬から人といった「転生」もあるとされる。
「養花天」とは、あたたかな陽気で桜の蕾がどんどん膨み、花開く頃の曇天のこと。花曇ともいう。私は俳句を始めて初めて知った言葉。天候が短い周期で変わりやすいこの時期は、どこかせつなさが宿る。
4/13 三輪初子
(こまいぬのあのこうちゅうへはなびらよ)
(みわはつこ)
「狛犬」は一般に、神社に向かって右の口を開けた「狛犬」を「阿」、左の口を閉じた「狛犬」を吽(うん)という。その「阿」の「口中へ花びら」が降り注いだ。
梵語に由来する「阿」吽は、吐く息と吸う息、つまり呼吸の意で、万物の初めと終わりを象徴しているといわれる。たしかに、人間は口を開けながら生まれ、口を閉じた状態で死ぬようだ。「阿」は口を開いて発音し、吽は口を閉じて発音する。日本語の五十音も、「あ」と口を開けて始まり、「ん」と口を閉じて終わる。
4/12 泉田秋硯
(ついしんにいぬのしょうそくさくらちる)
(いずた・しゅうけん)
手紙にひととおりの用件を記し、そのあとに「追伸」として「犬の消息」を加えた。
「消」は陰気のなくなること、「息」は陽気の生じることで、人や物事のその時々のありさま、動静、状況の意。
あまりかんばしい「消息」ではないことは「さくら散る」が暗示している。「追伸」というさりげなさが、かえって切々と訴えかける。
作者は、1926(大正15)年島根生まれ。「苑(えん)」主宰。「百年のグリコ快走さくら咲く」「生首のごとく月下のメロン抱く」など。
4/11 黒田杏子
(かいけんもかりんのはなもよあけまえ)
(くろだももこ)
「甲斐犬」は、秘境といわれた山梨県(甲斐の国)中巨摩郡芦安村(現・南アルプス市)が発祥とされる虎毛の中型日本犬。
「夜明け前」というと、私は島崎藤村を思い出す。藤村が生まれた馬籠(まごめ)は、長野県木曽郡山口村字馬籠を経て、現在は岐阜県中津川市馬籠に。「木曽路はすべて山の中である」に始まる『夜明け前』は、昭和4(1929)年から10年にかけて「中央公論」に連載。
冷涼な気候を好む「くわりんの花」は、新緑とともに薄紅色の花を開く。果実は秋に黄色に熟す。
4/10 小梅 順
(さくらはえもうどうけんのあとずさり)
(こうめじゅん)
散歩の途中、この道は行きたくないと嫌がり、犬がじりじりと「あとずさり」することはよくある。でも、「盲導犬」が、なぜ「あとずさり」をしたのだろう? 理知的な「盲導犬」だけに、やや強い南風の中、なにかを察知したのだろう。さまざまな状況が想像される。
「春の雲先頭を行く盲動犬 細川和子」も「盲導犬」句。「花の下犬の守れる募金箱 佐藤雅代」は、お花見に繰り出した人々へ訴えるように、「募金箱」の前に辛抱強くひたすら座り続ける犬。これも「盲導犬」であろう。
4/9 高浜虚子
(つながれしいぬがたいくつちょうがとび)
(たかはまきょし)
4月8日は、高浜虚子の忌日でもある。椿が好きだったことにちなんで椿寿忌とも。そういえば娘・星野立子の長女は椿という。
虚子の墓がある鎌倉・寿福寺を私は何度か訪ねているが、毎年この日に法要と句会が行われているそうだ。
掲句は、「春風や闘志いだきて丘に立つ」という虚子句の対極にある気がする。『なんて「退屈」なんだろう。おまけに「蝶が」飛んでるし』と、「繋がれ」た犬のボヤキが聞こえてきそう。「犬が」「蝶が」という「が」の繰り返しも効果的。
4/8 川端茅舎
(まゆかいてきししろいぬやぶっしょうえ)
(かわばたぼうしゃ)
4月8日は、釈尊の誕生日。その降誕を祝って各寺院で行われる仏事を「仏生会」といい、一般に花祭として知られている。
境内に花御堂という、花で美しく飾った小堂を設け、誕生仏を安置して参拝者に甘茶を潅がせる。これは産湯の意で、灌仏会(かんぶつえ)や浴仏会、あるいは降誕会、誕生会、誕生仏、花御堂、花の塔、花亭とも。
「仏生会」に姿を現した「白犬」。子供にいたずらされたのだろう、顔に太い「眉」を描かれている。華やかさの中の一抹のあわれさ。
4/7 尾崎放哉
(まよってきたまんまのいぬでいる)
(おざきほうさい)
季語や17音にとらわれない自由律を用いた漂泊の俳人、放哉。1926(大正15)年の今日、結核のため41歳で亡くなった。
本名・秀雄。鳥取市生まれ。東京大学法学部入学後、「ホトトギス」を経て荻原井泉水の「層雲」に投句。卒業後は酒に溺れ、人間不信も強くなった。仕事や家族を捨て、流転の生活をしながら句作を続ける。
その凄絶な死を描いた吉村昭著『海も暮れきる』を読んだ私は、10年以上前、放哉が移り住んだ小豆島の南郷庵を訪ねている。掲句はまさに、放哉そのもの。
4/6 中原寛也
(あいけんのこえをでんわにしゅうしょくす)
(なかはらかんや)
「就職」が決まった喜びを「電話」で真っ先に家族に知らせた。その「電話」から作者の「愛犬」であるポメラニアンのコロの「声」も聞こえてきた。「就職す」といいきったところに、これから社会へ踏み出す決意と、家族の励ましを受けた昂揚感も伝わる。
一方で、ニートやフリーターが増加している。ニートとは職さがしをせず、仕事につくための訓練も受けていない若者たち、フリーターとは正社員ではなく、パートやアルバイトで働き続ける若者たちのこと。
4/5 深野敬子
(ふうわりとはなかげにあるいぬのはか)
(ふかのけいこ)
古来、「花」といえば「桜」を指す。花盛り、花明り、花時、花過ぎ、花の山、花の昼、花朧、花便り、花の宿、花の塵、花冷え、花衣、花人、花篝、花曇など、すべて春の季語。
花の雲は桜が爛漫と咲いた景色、花埃は花どきの埃、花吹雪は桜の花弁が散るさまを吹雪に見立てたもの。
「花影」は、月の光などによってできる花の影のこと。花の下に「犬の墓」をつくった人、そして墓の主はどのような犬だったのか。「ふうはりと」というやさしい表現から想像が広がる。
4/4 星野立子
(せんべいをいぬがかむおとはなのあめ)
(ほしのたつこ)
桜の咲く頃に降る雨だから「花の雨」。雨といっても、花時ならではの華やかさ、艶やかさを彷彿とさせる。「煎餅をいぬがかむ音」とは、笑いを誘われるような、でもちょっとせつない。
立子は、高浜虚子の次女。父の提唱した花鳥諷詠、客観写生を基本としながら、なにげない日常や自然を細やかな感性で詠み、女性俳人の先駆的な存在となった。
「たんぽぽと小声で言ひてみて一人」「鞦韆に腰かけて読む手紙かな」「さへづりをこぼさじと抱く大樹かな」など。
4/3 折島光江
(おとなふたりいぬいっぴきのはなみざけ)
(おりしまみつえ)
「花見酒」は、平安時代は、貴族の間で行われる神聖な宴だった。安土桃山時代には、豊臣秀吉が、究極の花見といわれる醍醐の花見を催した。江戸時代になると、家族や友人など少人数の花見が主流となる。
あたたかな陽射しを浴びた満開の桜は、気候の安定とともに豊作の兆しとされた。咲き誇る桜を愛でながらの「花見酒」は、豊かな暮らしの象徴といえよう。
「大人ふたり犬いつぴき」というきっぱりした表現から、「いっちょまえ」の顔をした犬が浮かぶ。なんとも微笑ましい。
4/2 竪阿彌放心
(いぬあらうまえをからすがばんぐせつ)
(たてあみほうしん)
「万愚節」とは、エイプリル・フールの日のこと。四月馬鹿とも。犬を洗っていると、その「前を烏が」横切った。「万愚節」だけに、「烏」に馬鹿にされた気がしないでもない。
4月1日は、相手をだましたり、驚かしてもよいとされる。その風習の由来はフランスだとか。嘘をつくのは人間だけではない。言葉を話さない犬や猫だって嘘をつく。
うちの犬が突然、足を引きずっているので驚いてそばに寄ったら、こちらの気をひくためだったのだろう。まんまと騙された。それも愉快な思い出だ。
4/1 西東三鬼
(はるのらいゆかしたにのらいぬとこと)
(さいとうさんき)
今日は、三鬼の忌日。「春の雷」は春雷(しゅんらい)ともいい、本格的な春の訪れを告げる、どこか陽気なイメージもある。でも、「春の雷」が起こる前は、いたってのどかな天気だったのに、くぐもった音が聞こえたとたん、あたりは舞台が暗転したかのように大きな変化を遂げる。そのため私は、「春の雷」は春の不安定な天候を象徴している気がする。
「春の雷」のもと、「床下に」息をひそめてうずくまる「野良犬」。母犬に寄り添う「仔」犬の様子が伝わる。
3/31 富田木歩
(かんちょうにいぬあそびいるあしのつの)
(とみたもっぽ)
「蘆の角」は、水辺に群生するイネ科ヨシ属の多年草、蘆の新芽のこと。水辺の泥土から、鋭くとがって角のような青い蘆の芽が、つんつん突き出している。蘆牙(あしかび)、蘆の芽、角組む蘆、蘆の錐(きり)ともいう。
あしかびは、蘆の若芽を指す古語。その由来は、『古事記』まで遡る。 天地の初め、世界がまだ大空を漂っていた頃、ウマシアシカビヒコジ(宇摩志阿斯訶備比古遅神)という神がいた。「葦の角」に象徴される万物の生命力を神格化したのであろう。
(わん句カレンダー)
3/30 飯島晴子
(いぬごやにこじんきているさくらどき)
(いいじまはるこ)
「犬小屋に」死者が立っているような「さくらどき」の静けさ。79歳で自ら命を絶ち、すでに七回忌を過ぎた飯島晴子。
その評論で、「言葉が言葉になる瞬間が無時間であること」「人間の意識の底の方の形をなさぬ不分明なところから偶然釣り上げられて、意識を通って更に、意識を未知の先の時空までのばす、そういう強力な言葉の出現」に支えられるものが俳句だと述べている。
自らの老いと向き合ううち、次第に見えない世界へと入り込んでいったのであろうか。
(わん句カレンダー)
3/29 笠 真木
(みみながきいぬのかおあげさくらはえ)
(りゅうまき)
「耳長き犬」とは、ミニチュア・ダックスフントのような長く垂れた耳の犬のことであろうか。うちの犬も垂れ耳だった。こちらへ一心に駆けてくるとき、垂れた耳が、ディズニー・キャラクターの象のダンボみたいに、ひらひらと大きく揺れていたのは実に愛らしかったなぁ。
「桜南風」は、さくらまじともいい、春の季語。桜前線より先立つ時期に、花を誘い出すかのように吹き出す、やや強い南風。
桜の咲く気配を感じとったかのように「顔」を「上げ」る「耳長き犬」が可憐。
(わん句カレンダー)
3/28 吉川駄郎
(おぼろよにまだらもようのまよいいぬ)
(よしかわだろう)
「まだら模様の迷ひ犬」と「朧夜」の妙。駄郎とは、漫画家の山藤章二さんを宗匠とする駄句駄句会のメンバーである作家・吉川潮さんの俳号。
私は、毎月、点々句会でご一緒していた。駄郎さんの鋭いツッコミにひやっとしたり、おなかを抱えて笑ったり。文字どおり抱腹絶倒の句会である。
(わん句カレンダー)
主な著書に『流行歌・西条八十物語』『江戸前の男 春風亭柳朝一代記』(新田次郎文学賞)『江戸っ子だってねえ 浪曲師広沢虎造一代』『浮かれ三亀松』『本牧亭の鳶』がある。
3/27 山田淳子
(はるのひるじゃぐちぜんかいいぬあらう)
(やまだじゅんこ)
「春の昼」は、眠気を誘われるような、うららかさが全身を包みこむような春の昼間のこと。春昼(しゅんちゅう)ともいい、音読みも心地よく響く。夏の季語である炎昼の過酷さとは異なり、のどかでゆっくりと時間が流れている。
まさに春爛漫、春風駘蕩といった満ちあふれた中のけだるさを感じる季語。が、この「蛇口全開」という言い切りは、まさに眠気を払うような爽快さにあふれている。あたたかな春の日差しの中、全身をくまなく洗われている犬の気持ちよさそうな表情も浮かぶ。
(わん句カレンダー)
3/26 北野民夫
(よべどこぬいぬにえをおくしゅんせいか)
(きたのたみお)
放れたまま戻ってこない犬の名を呼び続けて、あちこち探し回ったが、とうとう夜になってしまった。腹をすかしているのではないか、心配だ。せめて「餌」を入れた器を置いて待っていよう。
頭上には「春星」。たくさんの一等星がきらめくような冷涼な感じの冬の夜空にくらべて、春のおぼろげな夜空の「春星」の光はやさしい。
中村草田男主宰の「萬緑」に投句していた作者は、みすず書房の社主でもあった。
私は、この出版社の白い装丁の書物が好きで、昔からの愛読書も少なくない。
(わん句カレンダー)
3/25 三橋敏雄
(いぬねこのめやにしたしきおぼろかな)
(みつはしとしお)
「犬猫」に「目やに」はつきもの。以前はよく、「目やに」を付けたままの「犬猫」をよく見かけたが、最近は、犬も猫も室内飼いされ、「目やに」が出ていたとしても、こまめに拭きとってもらうため、たいてい目許はきれいだ。
「戦争」と題する無季57句を山口誓子に激賞された敏雄は、西東三鬼が在職していた貿易商社に入社、三鬼のただ1人の部下として仕えた。
俳句の授賞式などで、私は、生前の敏雄に何度かお目にかかった。構えるところなく若い俳人とも気さくに交流されていた姿が印象的。
(わん句カレンダー)
3/24 窓烏
(はるのつきみあげろうけんうーとなく)
(まどがらす)
薄絹で覆ったように甘くかすんだ「春の月」。やわらかく、あたたかな感じで、朧月、春月ともいう。月の満ち欠けとともに起伏豊かな人(犬)生、母性をも感じる。「うーと啼く」「老犬」もいい。「窓烏」とは、女優の吉行和子さんの俳号。
2年ほど前から、毎月句会でご一緒している。いつもたおやかな窓烏さんの、俳句に対する内に秘めた情熱はすごいものがある。「春の月」は、窓烏さんに似つかわしい季語のような気がする。
「春満月犬の鎖のぬれてをり 小林玲子」は、まんまるに潤んだ「春満月」。
(わん句カレンダー)
3/23 大鋸颯人
(けいちょうのまったきこいぬくさのもち)
(おおがさっと)
「傾聴」とは、耳を傾けて熱心に聞くこと。人と対峙するときの基本姿勢でもあり、その大切さはよく知られている。しかし、日ごろ実践できているかというと、なかなか難しい。
人の話にひたすら耳を傾け、相手の言いたいことを捉え、心の声に思いを馳せる。相手を認め、受容する。それができるのは、実は犬なのかもしれない。
いちずに主人を慕う、完全で欠けたところのない愛犬を作者は、「傾聴の全き小犬」と讃えている。蓬がたっぷり入った野趣豊かな「草の餅」の香に安らぎながら。
(わん句カレンダー)
3/22 吉村公三郎
(みずぬるむいぬとこどものわたしぶね)
(よしむらこうざぶろう)
「渡し舟」に乗る犬と「子供」の表情まで目に浮かぶ映像的な句。と思っていたら、作者は、「安城家の舞踏会」「偽れる盛装」「越前竹人形」「夜の河」など、文芸ものから社会派まで幅広い作品で知られた映画監督。
モンタージュ論など、俳句と映像は通じるところがある。五所平之助もそうだが、俳人としても知られる映画人は少なくない。
ところで、五所監督が亡くなられた1981年って、水原秋桜子、伴淳三郎、芥川比呂志、横溝正史、市川房枝、宮本常一、堀口大学も逝去したのだなぁ。
(わん句カレンダー)
3/21 飯田蛇笏
(あまのじゅずをいぬもくわえしひがんかな)
(いいだだこつ)
愛犬ジョニーの遺骨を「彼岸」に合せて、ある霊山へ散骨することに決めた。遺骨の一部は年末に、先祖の墓の隣にある先代犬ジョン万次郎の墓の傍らに埋めたのだが、いろいろ考えた末、やはり自然に還すのがよかろうということに。
さて蛇笏といえば、「芋の露連山影を正しうす」「死骸(なきがら)や秋風かよふ鼻の穴」「をりとりてはらりとおもきすすきかな」が有名。
山梨県に生まれ、早稲田大学在学中に「ホトトギス」で頭角を現し、のちに「雲母(うんも)」を主宰。
(わん句カレンダー)
3/20 岡田由季
(いぬおろすじめんそこからくさあおむ)
(おかだゆき)
地中から草の芽が頭をもたげることを下萌(したもえ)、草萌というが、それから少し日が経って、さらにあたたかくなり、草が伸びて色鮮やかな緑を深めていくことを「草青む」という。
小犬か、あるいはまだ歩き始めてまもない仔犬だろうか。抱きかかえている犬の四肢をそっと地面にふれるようにおろした。犬が立った「そこから」ぱぁっと草の青みが増したように見えた。
これから、ひと雨ごとに寒さがやわらぎ、ひと雨ごとに草も育ち、春も深まる。そして犬も育っていくのである。
(わん句カレンダー)
3/19 秋澤 猛
(はるいちばんひといぬからすたにいでぬ)
(あきざわたけし)
「春一番」は、立春から春分の日にかけて吹く南風。つまり、3月21日頃までに日本海に発生した低気圧が、発達しながら通過するときに発生する突風で、嵐を思わせる。
「春一番」が吹き、真っ先に「田」に飛び出したのが、「人犬鴉」だった。「春一番」に続く「人犬鴉田」という、漢字の連なりが、視覚的にもユニーク。
作者は、明治39年、山形県酒田市生まれ(ご健在ならば100歳になられるのかしら)。昭和初期から「ホトトギス」「馬酔木」に投句し、昭和27年、秋元不死男に師事。
(わん句カレンダー)
3/18 横山白虹
(がくえんのいぬおおいなりそつぎょうす)
(よこやまはくこう)
「学園の犬」の句から、たくさんの生徒たちと青春をともに過ごし、「卒業」を見送った犬の実話を思い出した。
ある高校に迷い込んだ犬は、10年以上にわたり、その生涯のほとんどを学校で過ごした。校内を自由に闇歩し、守衛さんに付き添い、職員会議に出席し、職員名簿にも番犬として記された。その死は学校葬として数千人が集い、校長が弔辞を読んだ。
1頭の犬の存在に、生徒や先生はどんなにか勇気づけられ、励まされたことだろう。「巨いなり」に犬に対する畏敬の念すら感じる。
(わん句カレンダー)
3/17 村上鬼城
(はるざむやぶつかりあるくめくらいぬ)
(むらかみきじょう)
たしか教科書に載っていたのを目にして、鮮烈な印象がある。私は昨年、高崎・竜広寺にある鬼城の墓所もお参りした。
この犬のモデルとなったのは、旧鬼城宅近くの福田家のマルという犬だとか。鬼城には、「行く春や親になりたる盲犬」もあり、「闘鶏の眼つぶれて飼はれけり」「冬蜂の死にどころなく歩きけり」など、境涯俳句と呼ばれる。
聴覚を失いながらも高崎区裁判所の司法代書人として働き、10人の子供に恵まれた。「ホトトギス」で活躍し、座右の銘は「心眼」ならぬ「心耳」。
(わん句カレンダー)
3/16 鈴木友寄枝
(いつもいしいぬなでてをりそうぎょうせい)
(すずきゆきえ)
学校の卒業式は、だいたい3月中に行われる。通学路の途中の家で飼われている犬であろうか、そこに「いつも」いる犬を「撫でて」いる。
毎日のように「撫でて」きたが、「卒業生」となって「いつも」とは少し異なる、あらたまった感じがうかがえる。
「卒業生」はもちろん、卒業式、卒園、卒業期、卒業証書、卒業歌、大試験、学年試験、進級試験、卒業試験、入学試験、受験、受験発表、及第、落第、入学、入学式、入学写真、入学児、新入生、一年生、入園、進級、進学、新学期、いずれも春の季語。
(わん句カレンダー)
3/15 臼田亜浪
(あさねしていぬになかるるいくたびも)
(うすだあろう)
快い眠りの季節。眠り足りているはずなのに、なぜか眠たい。いつまでもふとんを抜け出せないでいる。
うちの愛犬は、毎朝5時起きだったが、寝たふりをしながら、家人が起き出すのをじっと我慢のコで待ち続けていた。しかし、老年になってからは、その辛抱も続かなくなったのか、散歩に対する執着がより強まったのか、決まった時間に鳴いて散歩を催促した。こちらが狸寝入りを決め込んでいると、いつまでも吠え続ける。
「朝寝」を許してくれない犬をちょっと憎らしく思ったこともある。
(わん句カレンダー)
3/14 八木 健
(いぬのなをかんがえているはるのかぜ)
(やぎたけし)
「犬の名を考へる」のは楽しい。
最近は、チョコ、モモ、マロンといった、スイーツを思わせる洋風の食べ物系が多い(そういえば、今日はホワイトデーですね)。
10年ほど前は、タロー、ジョン、ポチ、クロ、コロ、シロ、ラッキー、チビなど、犬としては古典的ともいえる和風の名称が上位を占めていた。でも、呼びやすい二音のカタカナ名の人気は不動といったところか。
作者は、NHKアナウンサーとして39年間勤務し、平成3年から10年間、NHK・BS「俳句王国」の司会をつとめた。
(わん句カレンダー)
3/13 小熊 幸
(かーとよりのりだすいぬやはるみぞれ)
(おぐまゆき)
「カート」とは、ペットを運ぶ乳母車のようなキャリー「カート」のことだろうか。
私は、遊園地のゴー「カート」を思い浮かべるうち、子供の頃、よく観ていた米国のギャグアニメ「チキチキマシン猛レース」を思い出した。
怪しい笑い声の犬ケンケンを相棒に、愛車ゼロゼロマシーンでレースに出場するブラック魔王。主人が悪巧みに失敗してビリになるたびに、「シシシシシシ」と笑うケンケンは、とてもユニークで憎めないキャラクターだった。
「春霙」は、雨と雪が同時に混じって降る。
(わん句カレンダー)
3/12 岡部六弥太
(しゃぼんだまあおぐこいぬのはなにきゆ)
(おかべろくやた)
ふわふわと七つの彩を光らせて飛ぶ「石鹸玉」を不思議そうに仰いでいる「小犬の鼻」の先で消えてしまった、というメルヘンチックな句。
「石鹸玉」というと、「しゃぼんだまとんだ やねまでとんだ やねまでとんで こわれてきえた」という童謡が有名だ。作詞は「七つの子」「赤い靴」「青い目の人形」「兎のダンス」「証城寺の狸囃子」などを作った野口雨情(うじょう)。
二番の歌詞は、あまり知られていないが、雨情が早世した子を偲んで作ったとされる。せつなく美しい歌である。
(わん句カレンダー)
3/11 菅原独去
(ぶらんこのこにかえろうといぬがなく)
(すがわらどくきょ)
一年中あるのに、どうして歳時記には特定の季節のものとなっているのか、首を傾げたくなるような季語も少なくない。春でいうと、風車(かざぐるま)、風船、「ブランコ」など。
「ブランコ」は、ふらここ、鞦韆(しゅうせん)、半仙戯(はんせんぎ)とも呼ばれ、もともとは中国の儀礼で女性が乗るものだったとか。
いつまでも飽きることなく「ブランコ」を漕いでいる「子」に、傍らの犬が、もう「帰らうと」啼いた。無機質な揺動式遊具が、いかにも春の雰囲気を醸し出しているから不思議。
(わん句カレンダー)
3/10 坪内稔典
(にっぽんのはるはあけぼのいぬのふん)
(つぼうちとしのり)
「春はあけぼの」といえば『枕草子』の「春はあけぼの。やうやうしろくなり行く、山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。」を思い出す。
事物を端的に、やや偏執的に表現する『枕草子』の文体は、とても俳句的という気がする。
この有名な冒頭に「日本の」と大上段に構えて、さらには「犬の糞」ときたからには、清少納言も「ぎゃふん」という感じであろうなぁ。
しかし、犬を愛するものにとって、「春はあけぼの」の「犬の糞」は、なんともいえない趣がある。
(わん句カレンダー)
3/9 瀧 勧進帳
(ちゅうけんのはくせいみみたれぼたんゆき)
(たきかんじんちょう)
「忠犬」といえばハチ公。戌年に、「科博・干支シリーズ 戌」と題して、国立科学博物館で、忠犬ハチ公と南極観測犬ジロの剥製、二ホンオオカミの全身骨格など、犬にまつわる展示が行われた。
秋田犬のハチ公は、片耳が垂れていたことから、雑種と新聞に紹介されたこともあった。しかし実際は、ケガと病気のため耳が垂れたとされている。ハチ公の生前に建てられた渋谷駅前の銅像も、そして剥製も、そのことを忠実に再現している。
ハチ公は70年以上前の3月8日に亡くなった。
(わん句カレンダー)
3/8 平井 浩
(さえずりやいぬはじだんだもてこたう)
(ひらいひろし)
引鶴、鳥帰る、鳥雲に入る、鳥交る、雀の子、鳥の巣、巣立など、鳥に関する春の季語は多い。「囀り」は、繁殖期に小鳥がしきりに囀ること。
「地団駄」は、地蹈鞴(じたたら)の音変化で、足で地を何回も踏みつけること。腹を立てたり悔しがったりして、激しく地を踏むことを「地団駄」を踏むとも。
春を謳歌するような「囀り」に向かって、「ワタシもそこ行きたい!」と訴えるように、はばたかんばかりの勢いで足をばたばたさせる作者の愛犬サンちゃん。元気いっぱいでお茶目な姿が目に浮かぶ。
(わん句カレンダー)
3/7 吉屋信子
(いぬねむるそのいぬごやにはるのあめ)
(よしやのぶこ)
「春の雨」は、春雨ともいい、冬の雨とは異なるあたたかで優しい雨である。春霖(しゅんりん)は、毎日降り続くものをいい、菜種梅雨(なたねづゆ)は、菜の花の咲く時期に降る長雨をいう。
「犬眠る」と少し間をおいて、「その犬小舎に春の雨」という、ゆったりとしたリズムから、「犬小舎」の中で眠っている、目の前に姿の見えない犬を包み込むようなまなざしを感じる。
杉田久女などの俳人を素材にした小説『底のない柄杓』(1964年)を書いた信子は、『吉屋信子句集』(74年)もある。
(わん句カレンダー)
3/6 高浜虚子
(いぬみみをたててつちかぐけいちつに)
(たかはまきょし)
「啓蟄」は、二十四節気のひとつで、雨水から15日目の3月6日頃に当たる。 「啓」はひらく、「蟄」は土中で冬ごもりしている虫のことで、地中で冬ごもりしていた虫が、地上へ這い出してくる意。穴を出る地虫そのものも指し、地虫穴を出づ、地虫出づ、蟻穴を出づともいう。
春の気配を敏感に察する犬は、「耳を立てて」入念に「土」を嗅いでいる。
北国では福寿草が咲き、東京では蝶も見られるようになって日に日に暖かくなる。でも、スギ花粉もたくさん飛んでいるので、私には要注意の時期。
(わん句カレンダー)
3/5 イザベル真央
(ゆきどけのそらあおぐいぬだかれいし)
(いざべるまお)
「雪解け」は、「雪解(ゆきげ)」ともいい、春の季語。あたたかくなるにつれて積雪が溶け始め、川に流れ込むと雪解川となる。雪解風、雪解光、雪解雫、雪解野、雪汁とも。
作者は、老衰で歩くことができない愛犬を毛布に包み、近くの公園のベンチに座り、一緒に「雪解けの空」を仰いでいたのであろう。春の訪れを感じさせるきらびやかな光がまぶしく感じられる。
ほっとしたように、その犬は数時間後に18歳数ヶ月の命を終えた、という。
(わん句カレンダー)
3/4 川崎丈二
(ぞうちじつさいごうのいぬおいにけり)
(かわさきじょうじ)
「西郷」といえば、上野恩賜公園にある西郷隆盛像(高村光雲作)。傍らの犬は、「西郷」さんお気に入りの雌犬・ツンだといわれる。
しかし、銅像を制作した時は亡くなっていたため、仁礼景範大という日本帝国海軍中将の雄犬をモデルにして作成されたという。
「遅日」とは、日が永くなってきたことで、暮れ遅しともいう。「老い」るはずのない「西郷」像の犬が「老い」るというのは、常識を超えて面白いし、「遅日」ならではの感覚という気がする。像を見ている作者自身の「老い」も指しているのであろう。
(わん句カレンダー)
3/3 藤田山頭女
(ひなかざるとなりのいぬのさきのび)
(ふじたさんとうじょ)
雛祭りは、桃の節句とも呼ばれ、女の子の誕生を祝い、健やかで幸せな人生を願う気持ちが込められている。
「雛」を飾っているその「隣り」に座っている犬。ちょっと退屈したのか、「小さき伸び」をした。なんだか、ほほえましい。
古来、草や紙で作った「ひとがた」を自分の身代わりとして川や海に流して災厄を払っていた。これが、宮中の人形遊びと結びつき、雛祭りの原型になったという。雛遊び、雛あられ、雛市、雛壇、雛の宴、雛の客、雛の宿、雛流し、雛納めなど、関連する季語は多い。
(わん句カレンダー)
3/2 田川飛旅子
(たんぽぽののにいでてとるいぬののみ)
(たがわひりょし)
「蒲公英」は、春の最もポピュラーな野草。キク科の多年草で、3~5月、日当たりのよい山野につぎつぎに花茎を出し、一面に黄色い花をつける様子は、健康的な明るさと生命力に満ちている。
散歩の途中だろうか、「蒲公英の野」で「犬の蚤」を取っている。幸福な風景である。春が来た喜び、うきうきと弾む心が伝わる。
ヨーロッパ原産の帰化植物の西洋たんぽぽは、在来種より繁殖力が強いため、秋まで咲き続ける。田川飛旅子の本名は博。「寒雷」「風」を経て、「陸」を創刊主宰した。
(わん句カレンダー)
3/1 加藤三七子
(たびびとといぬおりてくるはるのやま)
(かとうみなこ)
Тさんは、フラットコーテッド・レトリバーの愛犬とともに、北海道3000キロをヒッチハイクした体験記を出版されている。脱サラして「今までできなかったことがしたい」と思った時、まっ先に浮かんだのは、愛犬と旅することだったとか。
でも、この「旅人」は、犬連れバックパッカーではなく、山道でたまたま出会った犬に導かれるように山を「おりて」きたのだろう。
枯色が消え、生気あふれる「春の山」を山笑うともいうが、快活な犬の歩みが見えてくる、明るい句。
(わん句カレンダー)
2/27 折島光江
(いぬのめのいつもしんけんにがつじん)
(おりしまみつえ)
犬って、ほんとうに怖いくらい、「いつも真剣」。「真剣」なまざしでじっと覗き込まれると、思わずたじろいでしまう。例えば、散歩やごはんを待っているとき、頭の中は、それしか考えていないのでは、というくらい集中している。
もちろん、遊ぶときも「真剣」。夢中になり過ぎて、「あっちの世界にいっちゃっているんでは?」と思うほど、「真剣」な目をしているときもある。そのくせ、眠るときは、四肢をのばし、おなかを出して無防備に寝ているんだなあ。
(わん句カレンダー)
2/26 柴田白葉女
(はるあさしいぬがいぬみるどてのみち)
(しばたはくようじょ)
揚句から、白葉女という俳人が、私の住まいに近い市川市八幡に在住していたことを知った。とすると、この「土手」は、私も愛犬を連れてよく通った江戸川の「土手」であろうか。
川を見下ろす小高い「土手の径」には、さまざまな犬が集まる。そう思うと親近感が湧く。
作者は、明治39年兵庫県生まれ。飯田蛇笏に師事し、「雲母」では高橋淡路女と同期。加藤知世子、殿村兎絲子らと季刊「女性俳句」を創刊。俳句女園」を主宰するなど女性俳人をリードした。
(わん句カレンダー)
2/25 長谷川秋子
(うめのひにこいぬはだえきごとだかれ)
(はせがわあきこ)
まだ「仔犬」なので、口もとの締まりがあまりよくなくて「唾液」を付けているのか。または、うれしさのあまりペロペロと人の顔を舐めまわし、「唾液」が溢れ出ているのか。そして、「唾液」の溢れた舌を出したまま「抱かれ」ているのであろうか。
ともかく、「仔犬は唾液ごと抱かれ」が、溌剌とした「子犬」にふさわしい表現で、印象的。早春の陽射しを受けて「子犬」も「唾液」もきらきら輝いている。
秋子は、大正15年東京生まれ。長谷川かな女に師事。
(わん句カレンダー)
2/24 伊藤 航
(ざんせつをなめざんせつにはしるいぬ)
(いとうこう)
まだ、屋根から下ろされた雪がまとまってあったり、家の北側や裏山などの日陰に、消えずにひっそり雪が残っていたりもするが、麓はすっかり春めいている。
放たれた犬は、陽射しにきらめく「残雪を舐め」、休むことなくまた「残雪へ走る」。「残雪を舐め残雪へ走る」というリズムに、素早く跳ねるような犬の動きがよく現れている。
どこまでも澄み渡った青空。遠く山の頂に「残雪」が白く輝いている。残る雪、雪残る、雪解(ゆきげ)、雪間(ゆきま)も春の季語。
(わん句カレンダー)
2/23 長谷川かな女
(てにはさみみるいぬのかおこうばいさく)
(はせがわかなじょ)
「手にはさみ見る犬の貌」から、大切に愛しく想う気持ちがよく伝わる。さらに「紅梅咲く」から、心の昂ぶり、喜びを感じる。
私はふと、清少納言の『枕草子』の冒頭を思い出した。「昼ほゆる犬。春の網代。三、四月の紅梅の衣。牛死にたる牛飼。ちご亡くなりたる産屋。人おこさぬ炭櫃、地火炉。博士のうち続き女子生ませたる。方違へに行きたるに、あるじせぬ所。まいて節分などはいとすさまじ」。
「すさまじ」すなわち興ざめなことをこちらは述べている。
(わん句カレンダー)
2/22 酒井秀穂
(ばんけんのりちぎにほゆるはるはやて)
(さかいひでお)
「番犬」は、勝手気ままに吠えているわけではなく、自らに課せられた務めをきわめて義理堅く、実直に遂行しているのだ。「律儀」の二文字に納得させられる。
春の天気は変わりやすい。とくに2月から3月にかけて烈風が吹く。1日中強い南風が吹きまくり、砂塵を舞い上げ、気温が上昇する。
春は、おだやかな陽気を感じさせる季語が多いが、それだけではなく、「春疾風」、春嵐、春荒れ、春北風のように、不安定な天候を表す、激しいイメージの季語も多い。
(わん句カレンダー)
2/21 中村明子
(そうしゅんやいぬよぶごとくしかよんで)
(なかむらあきこ)
「鹿」は秋の季語になっているが、奈良の春日大社などでは、神の遣いとして1年を通して間近に見ることができる。大きな「鹿」に向かって、愛犬の名を呼ぶようにやさしく声をかけた。
私は、山中で野生の「鹿」に遭遇したことがある。ニホンカモシカは、崖の上からこちらをじっと見つめていた。どちらかというと、警戒心よりも好奇心のほうが強いのかもしれない、と思った。
作者は昭和2年、東京生まれ。「みなとみらいハンカチ二枚使ひ分け」という句も。
(わん句カレンダー)
2/20 細見綾子
(あかいぬをよぶしゅんじつのだいいっせい)
(ほそみあやこ)
自分の名を呼ぶ、弾んだ「春日の第一声」を聴きつけ、どこからともなく姿を現した「赤犬」。明るく元気な1日のはじまりを予感させる。
細見綾子に「チューリップ喜びだけを持つてゐる」という句があるが、「赤犬」はひたすら、「春日の第一声」だけを待っていたのではないか。犬と人の信頼関係が伝わってくる。
同じ作者に「ふだん着でふだんの心桃の花」という句もあるが、あるがままの心で向かい合える対象があるということは、とても素敵だなあ。
(わん句カレンダー)
2/19 天沼良江
(ろうけんもわれもなみだめかふんしょう)
(あまぬまよしえ)
自慢にもならないが、私は「花粉症」歴十数年のベテラン。すでに「花粉症」の症状が顕著で、朝から鼻水やくしゃみに見舞われている。
例年、たいてい私の誕生日である2月26日前後に症状が現れるのだけれど、今年は早い。暖冬の影響がこんなところにも現れているのかしら。
この作者も「花粉症」で「涙目」に悩まされている。「老犬」も「涙目」というのは、「花粉症」とは別の老化に関係しているのかもしれない。それにしても「老犬も吾も涙目」とはお気の毒。
(わん句カレンダー)
2/18 河野多希女
(いぬのあくびまむかいにみるはるのかぜ)
(こうのたきじょ)
犬は、人間と同じように眠いときや目覚めたときのほかに、緊張しているときにも「あくび」をする。例えば、イタズラをして叱られたときや馴れない場所に連れていかれたときなど、よく「あくび」を繰り返す。
叱られて「あくび」をしているのは、「ああ、また始まったよ」なんて思っているのではなく、飼い主さんに怒られたことからくる緊張を犬なりにほぐそうと努めているのだ。
「あくびなんかして、ちっとも反省していない!」とますます怒らないように。
(わん句カレンダー)
2/17 佐々木暢
(くなかまにいぬねこはありみずぬるむ)
(ささきのん)
寒さがゆるむとともに、川や池の水があたたかく感じられる。俳句をつくる「仲間」の間にも、犬が好きで犬の句をよく詠む私のようなタイプや、猫を飼っていて猫の句をつくることが多いタイプと、たしかに犬派または「猫派」に分かれる気がする。
私は犬派と思われているようだが、基本的には、生き物が好き、自然が好き、なのだけれど。
あたりは春の気配が漂っている。犬派も「猫派」も、のどかな「水温む」季節を一緒に仲良く感受しようではありませんか。
(わん句カレンダー)
2/16 あざ蓉子
(ゆめどのをくさりにつなぐはるのいぬ)
(あざようこ)
「夢殿」に犬の「鎖」を「つなぐ」と読み取ると、犬の飼い主が、犬と「夢殿を鎖につな」いだことになる。
私は、「春の犬」が主体的に「夢殿を鎖につな」いだと受け取った。犬が自分のおもちゃか子分のように「夢殿」を従えているようで面白い。歴史的建造物を「鎖につなぐ」なんて、大それたことだが、「春の犬」でとぼけた味わいが生まれた。
私の句に「早春の夢殿犬の近づけり」がある。揚句は、意味よりも感覚的に味わうべきだろう。句集『ミロの鳥』より。
(わん句カレンダー)
2/15 大野千恵
(いぬのなをよんであおきをふみにけり)
(おおのちえ)
「青き踏」むは、踏草や踏青ともいい、春の季語。中国の風習が日本に伝えられたもので、早春に野に出て青い草を踏んで遊ぶこと。野遊びとも似ているが、踏むということから、蹠(あなうら)でじかに春を感じているのだろう。
伊豆へ取材に行った折、同行されたカメラマン氏曰く、「この季節、外の撮影は、背景が枯色になってしまうものだけど、暖冬の今年は、ずっと緑が残っている」。たしかに。
「青きを踏」む実感や春を迎える喜びは年々薄れている気がする。
(わん句カレンダー)
2/14 大江まり江
(ばれんたいんのひなりとおくでいぬがほえ)
(おおえまりえ)
「バレンタイン」商戦真っ只中。雑誌の特集にも「バレンタイン」デー用チョコレートのブランド案内が。今では、「バレンタイン」デーは歳時記にも載っている。
毎年の騒ぎ、ちょっと食傷ぎみだなあ。といっても、まったく無視、あるいは卒業なんていう枯れた歳でもありませんし。せっかくだもの、お祭りとして大いに楽しんでしまおう。
というわけで、私はまず、自分へのご褒美として、とっておきのチョコレートをお取り寄せ。今朝、クール便で戴きました。
(わん句カレンダー)
2/13 上村占魚
(しゅんしゅうやなくことしらぬいしのいぬ)
(うえむら せんぎょ)
犬のかたちをした石を掌にのせてじっと見つめているのか、または狛犬のような石像を眺めているのか。「鳴くこと知らぬ」に情感がある。
「占魚」という俳号は、故郷・熊本の球磨川の鮎の字を二つに分けたものらしい。松本たかしや高浜虚子に師事、「ホトトギス」同人。俳誌「みそさざい」創刊。
吉野秀雄、会津八一、斎藤茂吉、川端康成、大佛次郎、草野心平、宮柊二、中川一政、亀井勝一郎などと親交を深めた。平成8年76歳で死去。揚句は句集『石の犬』より。
(わん句カレンダー)
2/12 森景ともね
(しべりあんはすきーけんのよかんがお)
(もりかげともね)
「余寒」とは、立春後、寒が明けてもなお残る寒さのことで、春の季語。2月いっぱいは、こうした寒の戻りが何度かあり、本格的に春らしくなるのは、やはりお彼岸を過ぎてからか。
立春を境にして、冬の寒気から春の「余寒」へと微妙な変化が生じる。それを「シベリアン・ハスキー犬の余寒顔」と、「ハスキー犬」の「顔」に集約、断定したのが面白い。
「ハスキー犬」は、南極などでソリ犬として活躍した寒さに強い犬だが、「余寒顔」って、どんな「顔」なのか。
(わん句カレンダー)
2/11 中村 龍
(おはようといぬにえがおやふきのとう)
(なかむらりゅう)
家族や他人に対しても、「おはやう」という朝の一言を口にすることが少なくなってきているのかもしれない。
特に反抗期を迎えた子どもは、親に挨拶をするのは恥ずかしい、うざい、面倒だと、省略または無視を決め込む場合もある。でも、愛犬には、なんのわだかまりもなく「おはやう」といえる。そんなこともあるだろう。
「蕗の薹」の生えている早春の土手。すれ違う犬に「おはやうと笑顔」を向ける、そんなひとときが、とてもかけがえのないものに思える。
(わん句カレンダー)
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