俳句・エッセイ

連載コラム「いのちのダイヤリー」更新されました

ペットの「知・遊・人」が贈る「NCぺっと」で連載中のコラムが更新されました。

http://www.ncpet.jp/

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連載エッセイ「いのちのダイヤリー」更新

「NCぺっと」サイトで連載中のエッセイ「いのちのダイヤリー」、第3回「父と伝書鳩」更新されています♪
http://www.ncpet.jp/

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2.26の誕生日

2.26事件の日は雪でしたが、今朝の箱根・湯本は雨に濡れていました。東京も、一日冷たい雨だったようですね。

お誕生日をお祝いしてくださったみなさま、ありがとうございます。そして、丈夫な体に産み育ててくれた父母にも、感謝したいと思います。

(カードを送ってくださったロイスさん、タケさん、メールを送ってくださったみかみさん、ひろしさん、kakuちゃん、キハチさん、そして蕎麦旅行でお世話になりましたmaejimaさん、あかまつさん、maronさん、highlandさん、アザミさん、金井さん、おびちゃん。。。ホームページへもたくさんのメッセージをいただき、おかげさまで、とても印象深い誕生日になりました)

「日めくり犬の句」でも、ちょっと触れております。
http://www.publiday.com/publiday/072/077.html

例年、誕生日を境に花粉症の症状が出て、ほうっておくと日に日に悪化してしまいます。ここのところ、なんだか目が疲れやすく、しょぼしょぼしたり、涙目になりやすいなぁと思っていたら、今年も、どうやら花粉が飛散を始めたようです。一応、甜茶を飲んではいますが。

鼻もぐずぐずしてきました。例年に比べて花粉の飛散量は少ない、はずなんですけどねぇ。個人的には、辛い時期の到来でもあります。

卵割る朝きさらぎの誕生日  悦花

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木彫りフクロウ

創作木彫りフクロウの作者・鎮人さんは、1946年佐賀県生まれ。小学生時代に山中でのランプ生活を体験。4年生の時、疫痢にかかり生死をさまよった。ドウコドリと呼ばれるフクロウの鳴き声に呼び戻されて以来、フクロウに魅了される。

歳を重ねるにつれ、原風景を求めて1999年、妻・千代子さん、柴犬・風とともに岩手に移住。花や野菜を育て、限りなく自給生活に近いスローライフの日々を送る。

1メートルを超える雪に閉ざされる12月~4月は、ほとんど外での仕事ができない。その間、鎮人さんはひたすらフクロウの木彫りに精を出す。

埋もれ木や伐採された丸太をナタで粗削りし、作品を仕上げる創作木彫り。一刀入魂でこつこつ彫り続ける。「枯木が命を吹き返すようで心安らぐ」という。

  ふくろうを彫れば羽ばたく物語 鎮人

  つららは踊り子銀の涙あふれ 千代子

部屋の暖房は、停電になった時のことを考えて薪ストーブ。冬場は、その優しい温もりが、一家のだんらんの中心であり、鎮人さんの木彫り工房にもなる。

フクロウは「不苦労」「福来朗」ともいわれ、森の賢者、幸せを呼ぶ鳥として多くの人々に愛されている。

冬の間に彫りつづけたフクロウもかなりの数になった。似たものはできても、ひとつとして同じものはできない。

ほっとするようなあたたかさを秘めた鎮人さんのフクロウ。自宅ログハウスはじめ、町の施設やミュージアム、駅売店などに作品の一部が展示されている。

「工房ログ」連絡先:岩手県東磐井郡大東町 TEL 0191-74-3582(FAX兼)


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NHK「ラジオ深夜便」

9/11同時多発テロが起きた4年前の夜
わたくしは 新宿・西口の居酒屋「ボルガ」におりました

ふと気がつけば そこのテレビが 
猛然と煙を上げるビルを映し出しています
「なんだかアメリカがすごいことになっている。。」

なぜか 駅前のラーメン屋台に場所を移動して
そこでもまたテレビを見ていました

さらに旅客機が静かにビルに迫っていく
この国は そして日本は。。。
と全身の力が脱けていくようでした

今朝のNHKラジオ「ラジオ深夜便」で
お友達の藤田三保子さん(女優/俳号・山頭女)が
「吉田悦花さんに誘われて」と
わたくしの名も挙げてくださりながら
俳句のことを語られたそうです

ひとりづつベンチ仕切られ秋の暮  吉田悦花

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沖縄②

潮騒の聞こえる神社をお参りしたあと、沖縄関係の書籍が揃う書店へ。マチ子さんの詩集『ヒミコ』を購入。

沖縄そばをいただきながら、現地で主宰されている「WA」のことをうかがった。那覇空港で別れるとき、「沖縄の闇は濃いのよ」という言葉が心に残った。

東京に戻り、御礼状に沖縄の句を添えてお送りしたところ、句集『縄文地帯』とエメラルドグリーンの海の絵葉書を戴いた。

 人の世を少しはずれる曼珠沙華  マチ子

 風葬の洞窟びょうびょうと冬霞    マチ子

 断崖を飛ぶ夢ばかり春惜しむ    マチ子

 陽炎にあの世の人ががちゃがちゃと マチ子

群馬県に生まれたマチ子さんが、亜熱帯の島に渡って、もう40年以上。

「もしも沖縄に来なかったらわたしは、文学とは無縁の世界で生きていたかもしれない」という。

 てのひらの珊瑚の白骨冬近し      悦花


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沖縄

半年ぶりに降り立った沖縄。

大型の台風の直撃を受けた。

街路樹は根こそぎ倒れ、コンクリートの電柱は真っ二つ。

宿舎に缶詰状態となった私たちは、一日中、トランプゲームに興じるしかなかった(笑)。

 苦瓜食む暴風圏のしづかなり  悦花
 海野分琉球硝子壜抱き     悦花

台風一過の最終日、沖縄在住の俳人・岸本マチ子さんが車で迎えに来てくださった。

海岸通りをドライブ。真っ白な砂浜。目が醒めるような碧い海。熱帯魚の泳ぐ遠浅の海。

 砂糖黍に立つ力あり野分晴   悦花
 美辞麗句刻む慰霊碑黍あらし  悦花

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初めての俳句の作り方④

私が俳句をやっていてよかったなぁと思う1つは、ムダな言葉を削ぎ落とす快感、かもしれないと思うときがある。

不要なものをどんどん削ぎ落としていったら、潔くなれるかしら?

「男はもっとやさしく、女はもっとりりしく」なーんて、使い古された広告コピーみたいだが、男も女も行き着くところは、これではないかと思う。

話は横道にそれるが、私はときどき男性に間違えられる。といっても外見ではなく、私の書く文章が「男らしい」のだそうだ。なにを勘違いされたのか、私のことを男性と思い込んだ女性読者からお手紙をいただいたこともある。

それはともかく、オトナというか、それなりの年齢になって事柄がよく見えてくるようになると、同時に相手の思惑、利害などが複雑にからみ合い、たんに自分の思っていることだけを主張すればよいというわけにもいかなくなる。

当然、我慢強くなる。でもやっぱり、好きな物は好き、嫌いなものは嫌いなのである。

わがままといわれようが、無用の我慢なんて真っ平、こればっかりは譲れないということがある。そういう確たるものを持っている人は、とても魅力的だ。

ともあれ、力まず、素直に、あくまで自然体。俳句でもなんでも、これが長続きの秘訣、かもしれない。


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初めての俳句の作り方③

俳句を始めたばかりの頃、私が句をつくるのは、仕事の行き帰りなどが多かった。そのせいか、どうしても似たようなパターンの俳句ができてしまう。頭の中のイメージに頼った、人から見れば「感動の薄い」俳句に偏りがちであった。

よく「家の中で歳時記と首っ引きで俳句をつくっている」という声を聞くが、私は歳時記すら満足に目を通すこともなかった。かなり怠慢というか、あくまで自己流、良くいえばマイペース。

今なら、「戸外へ出て句をつくる(つまり吟行する)習慣を身につけると自然と俳句も上達するようですよ。そのほうが、人の動きや自然の変化にじかに接することができるので、驚きや感動にも出会いやすい。仲間と吟行に出かけて、その後で句会をすることは、楽しく効果的な俳句上達法といえるでしょう」

といったことを、エラソーに述べることも可能であるが。当時の私は、俳句を学ぶという意識が薄かった気がする。いたって無頓着であった。吟行のことも理解しないまま、誘われるまま初めての吟行に参加した。

それは手賀沼吟行という、水鳥が集う沼地巡りであった。昼前から夕方までかなりの距離を歩いた。「俳句をなさる方たちって健脚だなぁ」と感心した。

しかし、私はもともとアウトドア志向というか、歩くことは大好きなので、苦にはならなかった。それにしても、みなさん元気で、好奇心旺盛。道端の植物一つひとつに関心を示し、おしゃべりをしながらの楽しい散策であった。

しかし、句会場に到着して、さすがに慌てた。俳句を提出するときになって、朝から一句もつくっていなかったことに気づいたのだった。

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初めての俳句の作り方②

実は私、初めて出席する本部句会に、いきなり遅刻してしまった。顔も知らない先輩のみなさまが30人くらい勢ぞろいしている会議室に、ひとり入っていった。

句会がどのように行われるものか、どのような方たちが参加なさっているのか、ほとんど理解していないありさまであった。句会では、実質四時間くらい、席に座っていなければならなかった。

いきなり初回に遅刻した私は、すっかり動揺したためか、あたりを見回す余裕すら失っていた。最初から最後までずっと下を向いていた気がする。どのような俳句が出されて、どのような話が交わされていたのか。ほとんど覚えていない。

天気の良い休日の午後、会議室の一室。じっと座っていると、なんだか背中がムズムズしてきた。耳元で「イイワカイモノガ、コンナトコロデ、ジットシテイテ、ヨイノカ」なんて、ささやきが聴こえてくるような気がした。

句会に馴れない頃は、なぜか突然、窓の外に飛び出したくなるような衝動に襲われることもあった。子供の頃、ずっと「落ち着きがない」といわれていた私。正直なところ、少し忍耐が入った。

しかし、何事も参加してみなければ始まらない。新しいドアも一度開いて、中に入ってしまえば、あとは何回か参加しているうちに、順応するというか、リラックスして楽しく参加できるようになるもの。

あまりかたぐるしく考えないほうがよろしいでしょう。これから俳句を始めたい、あるいは句会に参加しようという方には、そのようにアドバイスしたい(笑)。

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