日野草城。明治34年、東京・上野生まれ。
俳句にエロティシズムを導入したといわれる「ミヤコ ホテル」の連作で、俳壇に物議を醸した俳人としても知られる。
ところてん煙の如く沈み居り
ものの種にぎればいのちひしめける
京都大学法学部在中、すでに若手俳人の筆頭として知られた草城。これらの句は、一見無造作なつくりのようだが、日常生活の中で眼にしたもの、感じたものを瞬時に別なものに転換する感覚と技術の巧みさ、永遠につながる物語性をも獲得している。
天衣無縫の生命力と自信にあふれた、長身の美青年、草城の姿が目に浮ぶような気がする。
19歳で、高浜虚子の「ホトトギス」の巻頭を占めた期待の同人。関西の新興俳句の旗手として、無季俳句も試みた。
タイピスト、紅茶、ボーナス、事務室など。自然諷詠をはなれて、斬新な素材を用いて、都市生活者の哀歓を俳句に抽出した。
その試みは高く評価され、伝統俳句の世界で意気揚揚と革新をめざした。しかし、虚子の顰蹙を買い、昭和11年、同人を除籍される。
さらに、新興俳句弾圧によって俳壇からも退き、沈黙を余儀なくされる。
戦後。肺浸潤のため療養生活を送りながら、俳句を再開。昭和24年「青玄」を創刊主宰。26年右眼失明。30年「ホトトギス」同人復帰、虚子の見舞いを受けるが、翌年死去。54歳だった。
才気煥発な早熟の俳人期から、病床で詠われた重厚真摯といわれる晩熟期に至って、草城は真価を発揮し得た、と思う。
高熱の鶴青空に漂へり
夏布団ふはりとかかる骨の上
柿食ひをはるまでわれ幸福に
痛切で悲愴きわまりない病苦から解かれ、おだやかな祈りの境地がうたいあげられる。
身体は衰弱しようと、詩人の魂は、自由に高く飛翔する。死は敗北ではない、と思う。
(『日野草城句集』角川書店より)
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