書評

2006.06.04

『どつどどどどう』5

二〇〇一年九月一一日、ニューヨークで起こった同時多発テロに、たまたま居合わせた。テロを詠んだ一連の句より。

湧きあがるテロの噴煙緋のカンナ 

火を噴いてビルが崩るる日の盛り

行く夏をマンハッタンが燃えてゐる

テロのような時事を詠むことは、俳句ではかなり難しいこととされている。短い詩形なので、時事の説明や解説のようになって、無残にも失敗してしまう場合が多いからだ。

しかし、時事を詠むことは、俳句の言葉を時代と合わせるためにも、俳人にとって必要な感覚、姿勢だと思う。そこに一平さんは挑んだ。直面したものとして、詠まざるをえなくなったといってもよい。

大島を離れ、東京を飛び立ち、中国、韓国、ニューヨークへ。歩き回り、「どつどどどどう」と時代の風に絶えず触れ続けることで、一平さんは、俳句の言葉の根っこを鍛え続けているのだと思う。

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2006.06.03

『どつどどどどう』4

句集には、「豆の木」で二〇句競作として発表された、忘れがたい佳句が随所に見られる。なかでも、「雛流る」の句は、説明的のようでいて、抜群に目が効いている。面白くなる一歩手前で踏みとどまっているところがいい感じ。

  頭を石にあてて向き替え雛流る

  

    川曲がるあたりもつとも囀れる

  

    お涅槃の皿に渦巻くマヨネーズ

  

    マネキンの髪の銀色夏兆す

  金魚売り影を揺らして起ちあがる

「物に即し客観写生を心がけようとしているつもりなのだろうが、実際は物を見る常識的な主観の域を出ていない」「全体的に漫然と描写していて、対象の本質に届いていない」という厳しい指摘がある一方、「いい感じの気持ちのゆれ」「古典的ユーモア」「滋味がある」「さりげない詩情」「読めば読むほど味わいが出てくる」「句の芯に体温を感じる」「具象の力」「あっさりした作風」「手練れ」と圧倒的な支持を受け、一九九八年二〇句競作豆の木賞に輝いた。

ここに挙げた選評の抜粋からでも、その俳句の魅力は十分語り尽くされている気がする。

しかし、一平さんは、このことに安住しなかった。東北人特有の粘り強さ、勤勉さであろうか、さらに高みを目指してチャレンジを惜しまなかった。

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2006.06.02

『どつどどどどう』3

「炎環」の仲間と一平さんのご案内で、一平さんの故郷、宮城県気仙沼市大島を訪ねたことがある。

船に群がるように飛翔するカモメたちと気仙沼湾を渡ると、そこが大島であった。一平さんは、ご自分についてあまり多くを語らないが、お父さまは、地元で俳句大会も主催されている俳人として知られる方であった。そのときの句会より。

  箱眼鏡祖父の噛み痕残りをり

「正月といえば歌留多とりをするのが常だった。記憶力が良いと、周囲を驚かせたらしい」と一平さんはいう。私は、家族や島のみなさんの期待を一心に受けて上京する学生服姿の一平少年を私は想像する。

樟脳舟しやうなう尽きてしまひけり

樟脳舟(しょうのうぶね)は、夏祭りの屋台などで売られていたセルロイド製の玩具。後部に樟脳を挟むところがあって、洗面器に浮かべて走らせるのだという。「しやうなう」のひらがな表記が、「しようがない」みたいで、どこか切ない。思いつめたように、洗面器の舟を見つめる一平少年の姿が浮かぶ。

そういえば、一平さんは、生真面目なところがある。いつも穏やかだが、ふと見るとその目は笑っておらず、真剣そのもので、「巨人の星」の星飛雄馬みたいに、瞳の中に炎が静かに燃えていたりする。俳句に対する取り組みは真摯そのものだ。「一平さんは、俳句に賭けている」と実感する。

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2006.06.01

『どつどどどどう』2

私が、一平さんにお会いしたのは、俳句を始めて間もなく、初めて吟行に参加したときである。

「休日に句会に出るときは、子供も連れて行くようにいわれているから」と小学生のお嬢さんを連れてみえていた。毎日のように句会に出席して修練されている「猛者俳人」とは、そのときは知るよしもなかったが、「えつかちゃん」と新人をあた

たかく迎えてくださったことが印象に残っている。

以来、その印象は変わらない。考えてみれば、不思議ではある。一平さんとはさまざまな句会や吟行にご一緒してきたが、若い句友に混じっての句会でも、ベテランだからといってことさら気負うでも威張るでもない。

どんなときも気どらず、淡々とされている。クマさんのように大きな身体を心なしか丸めて、寡黙にノートにサインペンを走らせ、一心に句を詠む朴訥な横顔が浮かぶ。

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2006.05.31

『どつどどどどう』1

句集『どつどどどどう』が、「菊田一平の第一句集」と知って、意外に思った人も少なくないだろう。一平さんは、句集のオビにあるように「日々俳人、刻々俳人」として、すでに三〇年近い俳歴と実力の持ち主である。

掲載句を一九九〇~二〇〇二年の三五〇句に絞り込んでいることからも、初句集に賭ける並々ならぬ意欲を感じる。そこには、力強さ、素朴さ、繊細さが同居している。

  どつどどどどう賢治の空や木の実落つ

雛壇のみな親戚のやうな顔

    薄紙に雛の容の残りをり

  天金の旧約聖書風邪心地

  夜は夜のかほして秋の金魚かな

トラピスチヌ修道院の松手入

ふらここのぶつかりさうな消火栓

相続のひとつに茸山の地図

  雪の日の雀あつまる大きな木

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2006.05.02

『どつどどどどう』3

「炎環」の仲間と一平さんのご案内で、一平さんの故郷、宮城県気仙沼市大島を訪ねたことがある。

船に群がるように飛翔するカモメたちと気仙沼湾を渡ると、そこが大島であった。一平さんは、ご自分についてあまり多くを語らないが、お父さまは、地元で俳句大会も主催されている俳人として知られる方であった。そのときの句会より。

  箱眼鏡祖父の噛み痕残りをり

「正月といえば歌留多とりをするのが常だった。記憶力が良いと、周囲を驚かせたらしい」と一平さんはいう。私は、家族や島のみなさんの期待を一心に受けて上京する学生服姿の一平少年を想像する。

樟脳舟しやうなう尽きてしまひけり

樟脳舟(しょうのうぶね)は、夏祭りの屋台などで売られていたセルロイド製の玩具。後部に樟脳を挟むところがあって、洗面器に浮かべて走らせるのだという。「しやうなう」のひらがな表記が、「しようがない」みたいで、どこか切ない。思いつめたように、洗面器の舟を見つめる一平少年の姿が浮かぶ。

そういえば、一平さんは、生真面目なところがある。いつも穏やかだが、ふと見るとその目は笑っておらず、真剣そのもので、「巨人の星」の星飛雄馬みたいに、瞳の中に炎が静かに燃えていたりする。

俳句に対する取り組みは真摯そのものだ。「一平さんは、俳句に賭けている」と実感する。

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2006.01.31

朝日新聞「今、注目の本。」

先週、朝日新聞「今、注目の本。」として、『わん句歳時記』が表紙とともにご紹介されました。

「俳句で深まる愛犬との絆」というタイトルの書評でしたが、とてもよくこちらの想いを表現していただいておりました。

「日めくり犬の句」更新されました
http://www.publiday.com/publiday/072/070.html

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2005.03.16

辞世の句

句集『月光の音』は、1998年の『ぽぽのあたり』以降の作品を集めた、坪内稔典さんの第9句集。

その魅力を一言でいうならば、「ひょうきん」という気がする。

例えば、「河馬」「赤ちやん」「深雪晴」「枇杷の花」「ねむ咲いて」など、頻出する言葉がある。意識的なのか、こだわりはじまると、独自の世界が展開する。

遺言8句もそうだ。俳人仲間へ。古本屋のおやじへ。若い友人へ。弟に。娘に。妻に。ネンテン氏自身、辞世の句という試みを愉しんでいる。どこまでも明るく、ひょうひょうと。そして、したたかに。

正岡子規を生んだ愛媛県出身。大学時代、企画力とリーダーシップを発揮して、全国俳句連盟を組織。その頃から交友のあった故・攝津幸彦は、ネンテン氏を早熟の人である、という。

攝津は次のように述べている。

「彼の処女評論集である『正岡子規』の第一章の冒頭には、小学六年生にして子規の伝記を読み、俳句を書こうとし、高浜虚子の『季寄せ』を手に故郷佐田岬の稜線伝いに吟行をなしたことや、当時もっていた本に『通解万葉集』や角川文庫の『現代詩集』の二冊があったと書いてあることでもその片鱗が伺える」

12歳の頃、いったい何に夢中になっていたのかしら。

交換日記くらいしか思い浮かばない私にとって、独り俳句に打ち込んでいたネンテン少年の姿は、異なる世界の光景のように眩しく映る。

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2005.03.15

全国の河馬

俳人というより、評論の人という思い込みがあったためか、句集はどうかなぁ、と正直なところ思っていたのだが、予想に反しておもしろい。

坪内稔典句集『月光の音』(2001)の240句を数える句の作品に中で、「いいなぁ」と思う句が30句以上あった。

これが多いのかどうか、よくわからない。しかし、これまで、さまざまな句集を読む機会を与えられたが、私としては、かなりの確率という気がする。

一羽いて雲雀の空になつている

てのひらの匂い雲雀の巣の匂い

梅三分キスの音しているような

口あけて全国の河馬の桜咲

麦秋の自ら濡れている蛇口

頭から突入森の七月へ

水澄んで河馬のお尻丸く浮く

ころがして二百十日の赤ん坊

葛咲いて父84母あの世

びわ熟れて釘とか父とかぼろぼろに

雁渡し乳房が張るという感じ

ねっ、リズムも良いでしょ。

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2005.03.08

ほんたうの自分

句集『漂白の歌』の序で、草堂さんは次のように述べている。

「旅に出ると市井の雑事に紛れてゐたほんたうの心が甦り、かへつて憂鬱になることが多い。(中略)

私が旅に出るのは、愉しいからではなく、ほんたうの自分に会ひたいからである。ほんたうに生きるための糧を得たいからである。

明日への希望を見出すために、私は旅をつづける」

草堂という人は、自分の弱さや孤独から目をそらさなかった、と思う。

その句は、自然に一歩もひかず、凝視し、人間や自然を詠むといったことを超えて、より大きな時空で、生命の根源的なものを追求していたような気がする。

草堂のことを何も知らなかった私。だが、いま、草堂の俳句熱がじわじわと侵食してくる。

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2005.03.06

哀しいおもちや

草堂さんは、従来の俳句に飽き足らず、生涯、努力を続けた。

「小器にして晩成型のわたくしは、ただ一すぢに俳句に打ち込まなくては、生きる意義もないと価値もないと観念した」と本書で述べている。

同じく「小器晩成型」を自認する私は、「なにもそこまでおっしゃらなくても」と思うのだが。その覚悟には、ひたすら圧倒される。

そもそも、草堂にとって俳句とはなんだったのか。

まさに生きる証だったのだろう。俳句イコール自らの人生、その充実のため、米塩にも困窮し、妻子を困惑させる「わたくしはまことになまけものであり、やくざものである」と述べている。

自らの句集を指して「おもちやに過ぎないかも知れぬ。大人のおもちやは哀しい」とも。

「大人のおもちや」ですか。なるほど、そうでしたか。

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2005.03.04

草堂さん

私が俳句を初めてまだ日の浅い頃、「草堂忌」という席題を与えられた。

「ソードー?」。私は、草堂という俳人を知らなかった。忌というのは、草堂さんが亡くなられた日。自分なりに草堂という人物をイメージして詠んだのが、

貌に似し石拾ひけり草堂忌  吉田悦花

拙い句ですが、『蝸牛 新季寄せ』の忌日の頁(草堂の亡くなったのは3月3日)に掲載していただいている。

そのまま、草堂については白紙のままの数年を経て、ある日、私は、『山口草堂全句集』(花神社 平成13年刊)を手にすることができた。

双の手にしんじつ青き藺を植うる  山口草堂

草堂は、明治31年大阪府生まれ。喀血のため、早稲田大学を中退。7年に及ぶ療養生活を送る。「新早稲田文学」に詩や小説を書く(そうなんだぁ~)。

しかし、一家を支えるため、文筆の道を断念。その鬱積した思いが、34歳で入門した「馬酔木」で俳句にのめり込む下地となった(フムフム)。

本書は、昭和7年から59年までの1995句を収録。

水原秋桜子は、昭和15年発行の初句集『帰去来』の序に、「この作風は、今までの俳壇に無かったものであり、馬酔木としても一つの境地を開いた」

「一題材に執着してこれだけ息のつゞく作者は全俳壇を見渡しても、たぐひすくないであろう」と、まさに絶賛している(!)。

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2005.02.14

走れば春

ポストまで歩けば五分走れば春

花菜畑ざぶんと人を好きになる

太陽を味方につけて草いきれ

向日葵をかかげ青空は止まらない

鎌倉佐弓句集『走れば春』より。句柄が太いというか、きっぱりと、肝がすわっている感じがする。大らかで包容力がある表現。リズムも独特。

驟雨にも背中のありて通り過ぐ

蛾のなきがら天与の塵とおもうべし

曼珠沙華みんなで咲いて皆さびし

微妙な陰影を詠む描写も確か。

柩には窓を海原には風を

無季もいい。前へ前へとつんのめるような躍動感にあふれている。屈託のないように見えるが、実は何度か壁にぶつかった、という。

木の葉落つ風よりも濃く生きたくて

作句に迷いが生じ、悩み苦しむうち、彼女の身体は、いつしかクローン病という難病に蝕まれてしまった。4か月に及ぶ入院。長い逡巡のとき。

自分を支えてくれている人や自然に、深く思いを馳せるうち、「わたしはあるがままを受け入れることを知った」のだという。

天窓をこわすなら今 花ふぶけ

福寿草ここに咲いてもいいかしら

1997年から3年間、夫の夏石番矢氏(「吟遊」代表)の研究のため、家族でフランスに暮らしたことも俳句開眼のきっかとなった。

「自分の使える言葉で、感じたまま、思ったままを俳句に詠もう。もともとちっぽけな自分の心を大きく見せるなんてできっこない。ささやかでいい。ありのままの自分に素直になろう。そう決心すると、俳句は次々と湧くようにあふれてきた」

湿潤な日本の風土性から解き放たれ、南フランスの陽光を思わせる明るさと軽快さを手に入れた。詠み続ける勇気を与えてくれる句集である。

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2004.12.27

日野草城の「高熱の鶴」

日野草城。明治34年、東京・上野生まれ。

俳句にエロティシズムを導入したといわれる「ミヤコ ホテル」の連作で、俳壇に物議を醸した俳人としても知られる。

  ところてん煙の如く沈み居り

  ものの種にぎればいのちひしめける

京都大学法学部在中、すでに若手俳人の筆頭として知られた草城。これらの句は、一見無造作なつくりのようだが、日常生活の中で眼にしたもの、感じたものを瞬時に別なものに転換する感覚と技術の巧みさ、永遠につながる物語性をも獲得している。

天衣無縫の生命力と自信にあふれた、長身の美青年、草城の姿が目に浮ぶような気がする。

19歳で、高浜虚子の「ホトトギス」の巻頭を占めた期待の同人。関西の新興俳句の旗手として、無季俳句も試みた。

タイピスト、紅茶、ボーナス、事務室など。自然諷詠をはなれて、斬新な素材を用いて、都市生活者の哀歓を俳句に抽出した。

その試みは高く評価され、伝統俳句の世界で意気揚揚と革新をめざした。しかし、虚子の顰蹙を買い、昭和11年、同人を除籍される。

さらに、新興俳句弾圧によって俳壇からも退き、沈黙を余儀なくされる。

戦後。肺浸潤のため療養生活を送りながら、俳句を再開。昭和24年「青玄」を創刊主宰。26年右眼失明。30年「ホトトギス」同人復帰、虚子の見舞いを受けるが、翌年死去。54歳だった。

才気煥発な早熟の俳人期から、病床で詠われた重厚真摯といわれる晩熟期に至って、草城は真価を発揮し得た、と思う。

  高熱の鶴青空に漂へり

  夏布団ふはりとかかる骨の上
  
  柿食ひをはるまでわれ幸福に

痛切で悲愴きわまりない病苦から解かれ、おだやかな祈りの境地がうたいあげられる。

身体は衰弱しようと、詩人の魂は、自由に高く飛翔する。死は敗北ではない、と思う。

(『日野草城句集』角川書店より)

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2004.11.07

頭の中で白い夏野となつてゐる ⑤

ちるさくら海あをければ海へちる

眼前の風景をたしかに捉えながら、すべてが青い海に吸い込まれていくような、永遠性や時間の連鎖など、時空を超越した心象風景の「虚実の皮膜」を創出している。

 石の家にぼろんごつんと冬がきて

 鳥とほくなりゐる秋のわかれかな
 
 血をたれて鳥の骨ゆくなかぞらに
 
 地球ごと風がまはるよ蝶飛来
 
 一瞬の海のかなしみ流れ星
 
 詩の泉さらさら流る爆心地
 
 きりぎりすきのふのそらのきのこ雲
 
 白い夏野の黒い焼野のきりぎりす

こうした句からも、窓秋が、叙情的な抽象世界だけを追及した俳人ではないことが読みとれる。

時代を見つめる深い思惟、虚無感、死生観を凝縮した鋼のような詩情がひたひたと伝わってくる。

「白い夏野」は、窓秋の原風景であり、戦争を目前にした若き日の絶望の表現、だったのではないか、と。

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2004.11.04

頭の中で白い夏野となつてゐる ④

長い休止期間を経て句作を再開したものの、平成11年に88歳で亡くなるまで、窓秋の作句活動は断続的であり、決して精力的とはいえない。

はっきりいって寡作である。

いわゆる俳壇からも最後まで距離を置き、「自分から句集を出そうなどという気持ちなど、さらさら無い」こともあり、その作品世界が知られる機会は、極めて限られていた。

私のように、この『高屋窓秋俳句集成』によって、その全貌を初めて知ったという人も少なくないのではないか。

窓秋は、代表句「頭の中で」のイメージからか、甘美で抽象的な叙情俳人といわれる。

しかし、本書に収められた4つの句集と補遺を読んだあとでは、冒頭に掲げた「頭の中で」の印象がまるで異なるものに思えてきた。

もう一度。
 
頭の中で白い夏野となつてゐる

酷いほどの夏の日差し。

遠くで子どもたちの声がする。

蝉しぐれ。

現実には、青い夏野が広がっている。

しかし、私の脳裏は、「白い夏野となつてゐる」。

まばゆいばかりの、焼け付くような明るさ。

そして匂い。

それらを覆い尽くすまでの寂寥感。

不安感、孤独、渇きを凝視する、いたましいまでに鋭い視線。

戦中・戦後の喪失感や虚脱感を予見したかのような作品だ。

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2004.11.02

頭の中で白い夏野となつてゐる ③

26歳の第一句集『白い夏野』はすでに、彼の代表句といわれる作品を収めている。

 南風や屋上に出て海は見ゆる

 ちるさくら海あをければ海へちる

 やはらかき小径とおもふ月あかり

 山鳩よみればまはりに雪がふる

窓秋は、水原秋櫻子の『葛飾』を愛し、秋櫻子門下として『馬酔木』に句を発表して、熱心に句作に勤しんだ。

しかし、俳句観の相違から、馬酔木同人を辞し、しばらく句作から離れ、一年後、『白い夏野』をまとめた。

句集が刊行された昭和11年、2・26事件が起こる。

さらに、12年に日中戦争、13年に国家総動員法公布、14年に第二次世界大戦、15年に三国同盟締結、16年に太平洋戦争が始まる。

法政大学卒業後、満州の電話電信会社に職を得た窓秋は、15年に東京に戻った折、京大俳句事件に関連して憲兵の訪問を受けている。

敗戦は満州で迎えた。

ソ連軍憲兵の追及を受けて市中に潜伏。国府軍と八路軍の攻防戦をくぐり抜けたものの、新京(現・長春)にて、幼い長女が病死。

昭和21年、佐世保に上陸、東京へ戻る。

その後、26年から45年まで作品活動を休止。

41歳から20年近くもの間、一句も発表しなかった。

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2004.10.31

頭の中で白い夏野となつてゐる ②

「頭の中で」は、作者の内面に広がる心象風景を、詩的映像として俳句に表現することに成功した先駆的な「新興俳句」として高い評価を得ている。

この句に続いて、

 しんしんと肺蒼きまで海の旅       篠原鳳作

 戦争が廊下の奥に立つてゐた      渡辺白泉
 
 水枕がばりと寒い海がある        西東三鬼
 
 蝶墜ちて大音響の結氷期         富澤赤黄男

といった新興俳句を代表する作品が生まれている。

窓秋の死から数年後に刊行された『高屋窓秋俳句集成』(沖積舎 定価10000円+税)を手にして、まず驚いたのは、扉のモノクロ写真である。

窓秋という俳人(75歳のとき)の姿を初めて目にした。

ネクタイにスーツ姿の窓秋は、背筋の伸びた気品ある老紳士といった趣き。

ちなみに、代表句「頭の中で」は、窓秋22歳のときの作品。

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2004.10.29

頭の中で白い夏野となつてゐる ①

「アタマノナカデシロイナツノトナッテイル」

目を閉じて、そうつぶやくたび、まぶしいほどに明るく輝かしいひかりのイメージが現れる。

「頭の中で」しゅわしゅわと炭酸がはじけ、どこか別の時空へ誘われるように。

そのうち、なつかしく、せつないほど茫洋とした、締めつけられる心持ちになる。

「白い夏野」という、どこまでも白く抽象的なイメージが広がって、焦点を結ばないまま、いつしかフェイドアウトしてしまう。

「頭の中で」句に、難解な言葉や人を驚かすような表現など、微塵もない。

「~で~と~ゐる」という形式は、やや説明的で散文的と思うかもしれない。

しかし、緻密な構成力と、潔癖な美意識、俳句表現の新しい可能性を感じさせ、いつでもみずみずしく、私の胸を打つ。

タカヤソウシュウ(高屋窓秋)という俳人について、ほとんど何も知らなかったのに、有名なこの一句のおかげで、いつのまにか私は、ソウシュウのことをわかったような気さえしていた。

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2004.10.27

オススメの1冊『草影』 ④

『草影』が編まれた歳月は、時代を代表する俳人が次々と逝去された歳月でもあった。

この句集の特徴として、すぐれた追悼句が多いことも忘れられない。

赤芋の地中に太り耕衣の死    悼永田耕衣氏

秋の富士吾より先に逝きしはや  悼上田五千石氏

丹波路の稔田の黄や綾子逝く   悼細見綾子さん

海青く花咲くまでの幹と枝    悼高屋窓秋氏

黒揚羽現れてこの世のひと悼む  故飯島晴子さん

歩み来し能村登四郎白絣     悼能村登四郎氏

冬霧の海に消えゆく振りむかず  悼三橋敏雄氏

寒に逝くまこと俳句の鬼として  悼佐藤鬼房氏

桂さんは、日常生活の中で、身体感覚を人生の受けとめ方や生き方へと昇華し、素朴に、愚直に、純粋に、一心に俳句に詠み続けてきたのだろう。

生きることと作句することが等価である生き方。俳人としてだけではなく、人間として、女性として、非常に魅力的な生き方がここにある。

命ある限り俳句とともに歩み続ける、俳人としてまっとうする生き方――それは、俳句という詩型が持つ、揺るぎなさといってもよいだろう。

俳句の力とその素晴らしさを再確認させられた。

(初出「炎環」2004年2月号 編集長オススメの1冊)


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2004.10.26

オススメの1冊 『草影』 ③

私が、桂信子という俳人を最も強く意識したのは、数年前のこと。復本一郎さんの「『本当の俳句』とは」というコラム(朝日新聞)で、「俳句」誌の「証言・昭和の俳句」での、当時84歳の桂さんの発言である。

「黛まどかさんの俳句、『月刊ヘップバーン』とか、それもよろしいですよ。ストレスの解消になっていいと思いますけど、そういうのとこっちの俳句と一緒にされると困る。いちおう私たちは本当の俳句を守っていかねばいけない」

「そういうのとこっちの俳句を一緒にされると困る」と、「恋の俳句」の旗手とそれをもてはやす風潮を一喝。

「ストレス解消俳句」とは、言い得て妙。

新興俳句を継承する数少ない女性俳人として、恋愛俳句の先駆者として、凛とした気骨あふれる一面を見せつけられた気がした。

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2004.10.25

オススメの1冊 『草影』 ②

さて、桂さんというと、

ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき

やはらかき身を月光の中に容れ

ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ 

すすき野に肌あつきわれ昏れむとす

湯上りの肌の匂へり夕ざくら

衣をぬぎし闇のあなたにあやめ咲く

逢ひし衣を脱ぐや秋風にも匂ふ

といった、深い詩情と鮮烈な感覚をたたえた句の数々が思い浮かぶ。

いずれも、自らの肉体の中に言葉を引き込み、女性の香りや体温を色濃く感じさせる。その独得の世界が、桂さんの句の特徴であり、そこに私たちをひきつける魅力がある。

「ひとづまに」。ひらがなを並べたところが、いかにも柔らかそう。

「ゑんどう」を煮る、そんなささいなことにも、自分が人妻であることを意識している、初々しさと艶っぽさが表現されている。

「すすき野に」。肌あつきまま昏れようとしているのだから、これから一体どうなるのか。意表を突くなまめかしさがある。当時の俳句表現としても、大胆だったことだろう。

このように初期から、桂さんの句には、「やはらかく」「ゆるやかに」といった言葉がよく見られる。

そこから見えてくるのは、本能的ともいえる自己の肉体への執着だ。清潔なエロティシズムに溢れた光彩を放つ。

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2004.10.22

オススメの1冊 『草影』 ①

俳人・桂信子さんの卒寿を記念した第十句集(ふらんす堂・定価3000円+税)である。品の良さとなつかしさを感じさせる装丁と本文デザイン。平成8年から14年3月まで年次順に編まれている。

題名は、集中の「冬麗や草に一本づつの影」より。主宰誌「草苑」といい、句集『草樹』といい、桂さんは、「草」という字がお好きなようだ。

一読して、あらためて思ったのは、桂信子という俳人の志の高さ、気概、いつも己と自然にきちんと向かい合っている姿勢である。

さらに、草とは、俳人・桂信子の人生を貫く香気であり、草影とは、そのたたずまいそのもの、と思った。

「炎環」の石寒太主宰も、「年輪を感じさせる」「ある年齢に達した桂信子という俳人の、ごく自然な顔が、そのままあらわれている」と高く評価されている。

初御空いよいよ命かがやきぬ

元日や如何なる時も松は松

雪たのしわれにたてがみあればなほ

春を待つおなじこころに鳥けもの

いつの世も朧のなかに水の音

囀りや大樹の昏きところより

一心に生きてさくらのころとなる

夕ざくらやさしきものはやはらかし

亀鳴くを聞きたくて長生きをせり

粋といふこの一筋の涼気かな

黒揚羽現れてこの世のひと悼む

月の中わが魂いまは珠なして

いつ遺句になるやも知らずいぼむしり

これらの句は、一見、平明な感慨句のように見える。

しかし、いつも感覚をとぎすまし、天と地、此岸と彼岸のあわいで、外界からの魂のよびかけを待っているかのような、透明感あふれる自在な境地を思わせる。

自然の移ろいの感じ方にしても、思想性や自然観というより、自らの体感に触発されての作品が非常に多い。

頁を繰りながら、毎年、毎日俳句大賞の選者をつとめておられる桂さんの、授賞パーティでお見かけするお姿を思い浮かべた。

常に童女のようなほほえみを浮かべ、身のこなしも声も、やさしく魅力的であった。

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