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February 2005

第1回 わん句 結果発表

お待たせいたしました!
わん句の結果は
「吉田悦花のわん句」サイトをご覧くださいませ
http://www.wanwantown.com/wanku/index.html

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きさらぎ 補遺

「お誕生日いつだったの?」というお問い合わせをいただきました。

二月二十六日です(まだ間に合います?)。

二月二十六日というと、たいてい「二・二六ですね」というリアクションがある。十二月といえば忠臣蔵、みたいな。ある世代以上にとっては、二・二六事件(1936)の印象が強烈のようだ。当日は、雪の降る寒い日だったようですね。

ところで、この機会に調べたところ、同じ日に誕生した人には、順不同・敬称略で、桑田佳祐(歌手)、徳川家康(江戸幕府初代将軍)、それから、毛沢東(中国共産党主席)、ヘンリー・ミラー(作家)、菊池寛(作家)、藤沢周平(作家)、与謝野鉄幹(歌人・詩人)、あらら、稲垣足穂(作家)もそうだったとは。

俳優では、中江有里、原田美枝子、橋本功、太宰久雄(寅さんシリーズの「タコ社長」)といった名前が挙がりました。

ひそかに尊敬申し上げる岡本太郎(芸術家)が同じ誕生日というのも、意外だったが、うれしい。余談だが、もう10年以上前、青山のご自宅でインタヴューしたことがある。その時同席なさった岡本敏子さん(現・岡本太郎記念館館長)には、昨年末再会することができた。

実はこの日、プロ野球誕生の日、ジャイアンツの日、ボクシングデー、ふろの日(26ね)でもあるそう。スポーツファン、お風呂好きのみなさまも、ぜひ覚えておかれては。


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きさらぎ

二月は私の誕生月。

ですが、二月という月は、一般に、存在感が薄いといいますか、あまりぱっとしない、はっきりいってそれほど好意的に受け止められていない気がするわけです。

一月は、新年やお正月で盛り上がる。それに対して二月は、寒いばかりで、あたたかくなったかなと思ってうかうかしていると、ぐーんと冷え込んで風邪をひいてしまったりする。花粉症だって心配、というより憂鬱。

観るべき花も梅くらいしかないじゃないか。そんな二月は一刻も早く去って、あたたかい春になって、お花見にでも行きたい、という感じなのではあるまいかと。

でもね。二月生まれとしては、反論の一つも唱えておきたいわけです。二月だって捨てたものではありませんよ、と。

二月は如月とも呼ばれる。如月。きさらぎは、寒さで更に衣を重ねて着る月であることからきた名であるという。

暦の上では立春を過ぎても、寒さはまだ続く。しかし、日脚は日一日と延びることから、「光の春」という言葉も使われる。二月には、梅見月、雪解月、初花月などの異称もある。

きさらぎ。きらきらした希望や光明を感じる月ではありませぬか?

(だからどーしたのというツッコミは受付ません・笑)

卵割る朝きさらぎの誕生日  吉田悦花

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わん句大募集

いよいよ締切間近!
ご応募はコチラから
http://homepage3.nifty.com/e-factory

愛犬への想い 俳句で表現してみませんか?
あなたの愛犬を見つめながら一句詠んでみましょう

<例> 犬の首すつぽり包む青マフラー 悦花

●審査員 
吉田悦子(ノンフィクション作家・俳号・悦花)

●発表
平成17年2月28日(月)
ホームページ「WanWanTown」にて発表
応募要項はコチラでもご覧いただけます
http://www.wanwantown.com/news.html
入選作には素敵な賞品もご用意しております

●締切  
平成17年2月20日(日)

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走れば春

ポストまで歩けば五分走れば春

花菜畑ざぶんと人を好きになる

太陽を味方につけて草いきれ

向日葵をかかげ青空は止まらない

鎌倉佐弓句集『走れば春』より。句柄が太いというか、きっぱりと、肝がすわっている感じがする。大らかで包容力がある表現。リズムも独特。

驟雨にも背中のありて通り過ぐ

蛾のなきがら天与の塵とおもうべし

曼珠沙華みんなで咲いて皆さびし

微妙な陰影を詠む描写も確か。

柩には窓を海原には風を

無季もいい。前へ前へとつんのめるような躍動感にあふれている。屈託のないように見えるが、実は何度か壁にぶつかった、という。

木の葉落つ風よりも濃く生きたくて

作句に迷いが生じ、悩み苦しむうち、彼女の身体は、いつしかクローン病という難病に蝕まれてしまった。4か月に及ぶ入院。長い逡巡のとき。

自分を支えてくれている人や自然に、深く思いを馳せるうち、「わたしはあるがままを受け入れることを知った」のだという。

天窓をこわすなら今 花ふぶけ

福寿草ここに咲いてもいいかしら

1997年から3年間、夫の夏石番矢氏(「吟遊」代表)の研究のため、家族でフランスに暮らしたことも俳句開眼のきっかとなった。

「自分の使える言葉で、感じたまま、思ったままを俳句に詠もう。もともとちっぽけな自分の心を大きく見せるなんてできっこない。ささやかでいい。ありのままの自分に素直になろう。そう決心すると、俳句は次々と湧くようにあふれてきた」

湿潤な日本の風土性から解き放たれ、南フランスの陽光を思わせる明るさと軽快さを手に入れた。詠み続ける勇気を与えてくれる句集である。

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怒濤

毎月、千葉県市川市の公民館で千葉句会が催されている。平日の午後ということもあり、参加者は10名前後。初心者からベテランまで、なごやかに、かつ熱心に学んでいる。

(仲間は随時募集中です。句会に参加なさりたいという方がおられたら、どうぞお気軽にメールください)。

女子高のうら枯葦の水匂ふ       悦花
紐長きワークシューズよ初明り     悦花

以前、石寒太先生は、NHK「五七五紀行」の番組取材・撮影のため、初めて冬の隠岐を訪ねたときの俳句を千葉句会に出された。
  
大年の鬣海へなだれゐし        寒太
笹鳴のいつか来てゐし楸邨碑     寒太
目つむれば楸邨のこゑ隠岐の雪   寒太

最高点の「大年」句は、当初、「鬣」(たてがみ)について、人なのか、獣なのか意見が分かれた。先生によると、海に面した断崖に放牧された馬のことだという。

寒風にじっと佇む馬の「鬣」。それが、冬の怒濤になだれを打つように見えた。そのとき、先生は、師・加藤楸邨の「怒濤」を体感されたのであろう。

笹鳴や遠島御百首の詠まれし世    楸邨
隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな  楸邨

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ぼるが②

私がこの酒場に定期的に顔を出すようになって、もう5年くらいになる。

1999年8月、茂が他界されてまもなく、茂が主宰する俳句誌の同人で、フォトジャーナリストの小松健一氏(茂の遺影の撮影者)から、店で開かれている句会に誘われたのがきっかけである。

2002年2月、「高島茂を偲び、ボルガ50周年を祝う会」が、新宿の京王プラザホテルで催された。そこで私は、今は亡き俳人の三橋敏雄にも会っている。

壇上で挨拶された詩人・作家のねじめ正一氏の父・正也氏も、俳人であった。茂や無頼派俳人といわれた高橋鏡太郎とも親交が深かったという。ちなみに、鏡太郎のことは、石川桂郎の『俳人風狂伝』に詳しい。鏡太郎を最期まで親身に面倒をみたのが茂だった。

私の手元に、茂の俳句誌を継承された高島征夫氏からいただいた、茂の第六句集『ぼるが』(卯辰文庫・平成12年刊)がある。正字・旧かな遣い。質実な気品が漂う句集である。

都会人・茂は、旅を好んだ。厳しく豊かな風土に自己を溶け込ませ、地道に誠実に人間を詠もうとした。晩年は、のびやかな独特の境地を獲得したように思う。

「ボルガ」には、前に述べたように、茂の人柄によって、石田波郷や中村草田夫などの俳人をはじめ、実にさまざまな表現者が出入りした。

私がこの店に吸い寄せられたのも、なにか不思議な縁とも、奇跡のようにさえ思える。

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ぼるが①

新宿西口の裏道の十字路。手前に、「ぼるが」とひらがな書きされた看板。幻燈のように懐かしい光を放っている。

名物の「ばん焼き」に煙る木の扉を押して、船底のような店内へ。止まり木に男たちの背が並ぶ。

カウンターの正面に、酒場「ボルガ」の創業者で俳人、高島茂のモノクロの遺影が掲げられている。無造作に分けた銀髪。鼻梁の通った凛とした風貌。どこか少年ぽい。ロマンチストの匂いもする。

若い頃の茂は、一見、線の細い美青年だったが、タチの悪い客が来ると、カウンターの中から飛び出し、胸ぐらをつかんで店の外に追い出した。

江戸っ子で、曲ったことが大嫌い。体を張って客や店を守る勇気と気迫に鳥肌が立った、という証言も残っているほど。カウンターに戻ると、にこやかに石田波郷の相手をしていたという。

喧騒、猥雑、無秩序が渦巻く戦後の新宿にあって、酒場「ボルガ」には、独特の雰囲気が漂っていた。半世紀もの間、俳句、詩、小説、映画、写真、演劇、ジャーナリズムなど、さまざまなジャンルの表現と創作活動の拠点・交流の場となってきた。

これはもちろん、茂の人間性に負うところが大きい。一兵卒として中国大陸に渡った後、焼け跡に築いた「ボルガ」は、多くの人々の還るべき憩いの家だった。それを守り抜いた茂は、心やさしい兄であり、厳しい父であった。

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初めての俳句の作り方⑤

昔は10年ひと昔といった。ところが今は、5年、下手をすると2年ひと昔なのである。私が生まれ育った昭和も「遠くになりにけり」だ。

リフォーム全盛の昨今。住まいから段差は急速に失われている。バリアフリーといって、できるだけ障壁や段差をなくした空間が「人にやさしい」とされている。

同時に、日本家屋の特徴である畳や障子も急速に姿を消している。床はフローリングと呼ばれる段差のない板張りとなり、障子は軽くて手入れの簡単なアルミサッシになっている。

よいか悪いかはともかく、合理性や安全性などを追求した1つの方向性といえよう。

そういう時代だからこそ、段差が新鮮。家の中で段差を意識するのは、私の場合、2月3日の節分である。今日、近くの神社でも豆撒きが行なわれ、たくさんの子どもたちで賑わっていた。そこで手に入れた福豆を先ほどいただいたところだ。

子どもの頃、私は、この日を心待ちにしていた。撒いた豆は、音を立てて床に散らばる。そのとき、「あっ、ここに段差がある」と足元の段差を意識する。

段差というものは、なぜか、そこで過ごした時代と、家族の存在を強く意識させる。あの頃にはもう還れない。懐かしく、どこかせつない。しかし、現実に厳然と存在する段差。

いうまでもなく、節分とは、春の節に移る分岐点。まず、段差を強く意識することから始めたい。

豆撒く声いくとせわれら家もたぬ  高島 茂

ボクシンググローブ真つ赤鬼やらひ 吉田悦花

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初めての俳句の作り方④

私が俳句をやっていてよかったなぁと思う1つは、ムダな言葉を削ぎ落とす快感、かもしれないと思うときがある。

不要なものをどんどん削ぎ落としていったら、潔くなれるかしら?

「男はもっとやさしく、女はもっとりりしく」なーんて、使い古された広告コピーみたいだが、男も女も行き着くところは、これではないかと思う。

話は横道にそれるが、私はときどき男性に間違えられる。といっても外見ではなく、私の書く文章が「男らしい」のだそうだ。なにを勘違いされたのか、私のことを男性と思い込んだ女性読者からお手紙をいただいたこともある。

それはともかく、オトナというか、それなりの年齢になって事柄がよく見えてくるようになると、同時に相手の思惑、利害などが複雑にからみ合い、たんに自分の思っていることだけを主張すればよいというわけにもいかなくなる。

当然、我慢強くなる。でもやっぱり、好きな物は好き、嫌いなものは嫌いなのである。

わがままといわれようが、無用の我慢なんて真っ平、こればっかりは譲れないということがある。そういう確たるものを持っている人は、とても魅力的だ。

ともあれ、力まず、素直に、あくまで自然体。俳句でもなんでも、これが長続きの秘訣、かもしれない。


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初めての俳句の作り方③

俳句を始めたばかりの頃、私が句をつくるのは、仕事の行き帰りなどが多かった。そのせいか、どうしても似たようなパターンの俳句ができてしまう。頭の中のイメージに頼った、人から見れば「感動の薄い」俳句に偏りがちであった。

よく「家の中で歳時記と首っ引きで俳句をつくっている」という声を聞くが、私は歳時記すら満足に目を通すこともなかった。かなり怠慢というか、あくまで自己流、良くいえばマイペース。

今なら、「戸外へ出て句をつくる(つまり吟行する)習慣を身につけると自然と俳句も上達するようですよ。そのほうが、人の動きや自然の変化にじかに接することができるので、驚きや感動にも出会いやすい。仲間と吟行に出かけて、その後で句会をすることは、楽しく効果的な俳句上達法といえるでしょう」

といったことを、エラソーに述べることも可能であるが。当時の私は、俳句を学ぶという意識が薄かった気がする。いたって無頓着であった。吟行のことも理解しないまま、誘われるまま初めての吟行に参加した。

それは手賀沼吟行という、水鳥が集う沼地巡りであった。昼前から夕方までかなりの距離を歩いた。「俳句をなさる方たちって健脚だなぁ」と感心した。

しかし、私はもともとアウトドア志向というか、歩くことは大好きなので、苦にはならなかった。それにしても、みなさん元気で、好奇心旺盛。道端の植物一つひとつに関心を示し、おしゃべりをしながらの楽しい散策であった。

しかし、句会場に到着して、さすがに慌てた。俳句を提出するときになって、朝から一句もつくっていなかったことに気づいたのだった。

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