« November 2004 | Main | January 2005 »

December 2004

日野草城の「高熱の鶴」

日野草城。明治34年、東京・上野生まれ。

俳句にエロティシズムを導入したといわれる「ミヤコ ホテル」の連作で、俳壇に物議を醸した俳人としても知られる。

  ところてん煙の如く沈み居り

  ものの種にぎればいのちひしめける

京都大学法学部在中、すでに若手俳人の筆頭として知られた草城。これらの句は、一見無造作なつくりのようだが、日常生活の中で眼にしたもの、感じたものを瞬時に別なものに転換する感覚と技術の巧みさ、永遠につながる物語性をも獲得している。

天衣無縫の生命力と自信にあふれた、長身の美青年、草城の姿が目に浮ぶような気がする。

19歳で、高浜虚子の「ホトトギス」の巻頭を占めた期待の同人。関西の新興俳句の旗手として、無季俳句も試みた。

タイピスト、紅茶、ボーナス、事務室など。自然諷詠をはなれて、斬新な素材を用いて、都市生活者の哀歓を俳句に抽出した。

その試みは高く評価され、伝統俳句の世界で意気揚揚と革新をめざした。しかし、虚子の顰蹙を買い、昭和11年、同人を除籍される。

さらに、新興俳句弾圧によって俳壇からも退き、沈黙を余儀なくされる。

戦後。肺浸潤のため療養生活を送りながら、俳句を再開。昭和24年「青玄」を創刊主宰。26年右眼失明。30年「ホトトギス」同人復帰、虚子の見舞いを受けるが、翌年死去。54歳だった。

才気煥発な早熟の俳人期から、病床で詠われた重厚真摯といわれる晩熟期に至って、草城は真価を発揮し得た、と思う。

  高熱の鶴青空に漂へり

  夏布団ふはりとかかる骨の上
  
  柿食ひをはるまでわれ幸福に

痛切で悲愴きわまりない病苦から解かれ、おだやかな祈りの境地がうたいあげられる。

身体は衰弱しようと、詩人の魂は、自由に高く飛翔する。死は敗北ではない、と思う。

(『日野草城句集』角川書店より)

| | Comments (1) | TrackBack (0)

ごはん

私の父は、昭和二桁世代だが、「米」というものに特別の愛着というか、執着を抱いているようだ。

たんなるごはん党というより、米の飯を三食いただかないと、腹に力が入らないというか、米が元気の源、という気がする。

主食である米を確保することが、一家の主のつとめと考えているところがある。米にうるさい父は、毎年、知り合いの農家から直接、新米を譲って戴いている。

父は頃合を見て、自ら電話を入れ、車を運転して取りにうかがう。炊きたての白いごはんを口にするとき、父はとても幸せそうだ。

我が家の食卓は、いつもごはんが中心だった。お茶碗にごはんを盛るのは、子供の私の役目。炊き上がったごはんの湯気に、家族ひとり一人の顔を思い描きながら、それぞれのお茶碗にごはんを盛る。ふんわりと。

93歳の天寿をまっとうした祖母は、意識を失う直前まで私たちと同じ食卓を囲んでごはんを口にしていた。愛犬ジョニー(16歳)の食事も、もちろんごはん。

私自身は、パンもごはんも麺類も好きだが、なかでも、ごはんと納豆好きは、やはり父親譲りかもしれない。

   ごはんつぶよく噛んでゐて桜咲く   桂 信子

| | Comments (1) | TrackBack (0)

わたしの羽音 ②

鳥といえば。

私は子どもの頃、セキセイインコを飼っていた。はじまりは、突然 家に飛び込んできたグリーンのクックちゃん。クックちゃんのお婿さんにとブルーのインコをペットショップで購入した。

気の強い年上女房のクックちゃんに、最初はたじたじの様子だったが、そのうちクックちゃんが卵を産んだ。無事、雛が孵ると、私は、雛の餌やりに明け暮れた。我が家からたくさんの小鳥が巣立っていった。

さらに年月は流れ、十代後半の頃。

自宅の庭にあった鳥のエサ台には、スズメ、メジロ、ヒヨドリ、オナガ、ヤマバトなど、さまざまな野鳥がひっきりなしにやってきてはエサを啄んでいた。

ある日、庭石の上にじっと佇む鳥を見つけた。ヒヨドリほどの大きさだが、赤茶色の姿は明らかに違う。

野鳥図鑑で調べたところ、渡り鳥であることがわかった。途中から小雨が降ってきたが、その鳥は微動だにしない。私は、息をひそめて、珍しい来訪者を見守っていた。

自分がまだなにものかわからないまま、どこか鋭敏すぎる神経をもてあましながら、青空に飛翔する羽音にひたすら耳を傾けている私が、そこにはいた。

冬青空わたしの羽音ありにけり    吉田悦花

(『二十世紀名句手帖 8 「生活」編 旅と人生の嬉遊曲』齋藤愼爾編 所収句)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

わたしの羽音 ①

なぜか鳥に心魅かれる。

最ものめりこんでいたのは、二十歳前ごろだったか。日本野鳥の会会員で、趣味はバードウォッチングだったりして。ほほほほほ(意味不明の笑い。照れ隠しともいう)。

そのころのもう1つの趣味は、イラストを描くことだった。まわりからうまいとおだてられ、頼まれて文化祭のポスターを描いた。そういえば、野鳥の会の会報誌に野鳥のスケッチも投稿したことがあった。

ある月刊誌の読者欄へイラスト(似顔絵)を投稿したのがきっかけで、編集長からお声を掛けていただき、イラストの発注を受けた。

さらに、単行本に挿絵も描くようになった。そのころには、すでに編集者として仕事をしていたので、あくまでアルバイト感覚である。

こうした過去を封印していたわけでもないけれど、私自身すっかり忘れていた。なんでもやってみようといったチャレンジ精神というか、お絵かきを仕事にしてしまった大胆不敵さというか、少しは見習いたいな、といまの私は思う。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

着ぶくれて 補遺

流山 吟行メモ

流山駅から歩いて5分くらいのところに、いま話題の新選組・近藤勇の陣屋跡。

その先に閻魔堂。墓地には、流山出身の義賊で、放蕩のかぎりを尽くしたという金子市之丞と遊女三千歳の墓がある。

流山には、悠々自適の境地を楽しもうという俳人・山口草堂の一派である葛飾派の俳人がたくさん暮らしていた。

葛飾派には一茶も属していた。俳諧の正統からはずれ、季題趣味も薄かったが、庶民に人気があった。

秋元双樹こと秋元三左衛門もその1人。流山で酒・みりんの製造販売を営む、この地きっての豪商であった。一茶は、双樹のもとに50回以上寄寓して、流山でたくさんの句を詠んでいる。

秋元家の建物は、「一茶双樹記念館」として甦った。私は、隣接する一茶庵で句会をしたことがある。

記念館には、一茶の掛軸があった。「鳩いけんしていはく」という前書きで、

 梟よ面癖直せ春の雨

とある。いつも憂鬱に見える梟に「面癖直せ」と意見する鳩。童話的なユーモア漂う句だ。

メモ魔で、何でも記録していた一茶の『七番日記』も展示。52歳で結婚。しかし、生まれた子どもたちは次々夭逝。複雑な境遇を圧縮するかのように、執拗に書き付けている。

こんなところにも、芭蕉や蕪村の風雅とは異なる、一茶という俳人の人間性を垣間見ることができる。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

着ぶくれて

流山は、千葉県北部に位置する。利根川水系を利用して、江戸への多様な水路が開けていた。水路に沿って江戸に供給されていた、醤油・みりんなどの食品産業が発達した。

一歩外へ出れば、醤油とみりんの蔵が建ち並び、その先には土手が広がっていた。対岸は埼玉。しかし、当時、2、3歳であった私は、くぐり戸を抜けて1人で外出することはなかったろう。

アルバムに、土手の上で写した写真がいくつかある。まだ春浅い河の水門を背景に、着ぶくれたマーちゃんと私。ふたりそろって「シェー」のポーズ。右腕を大きく頭の上で曲げ、左足だけで立って、実にうれしそうな私。

マーちゃんの身長の半分くらいしかない私は、着ぶくれてまんまるな体から伸ばした短い手足を思い切り湾曲させている。モノクロ写真だが、その頬は真っ赤に違いない。

「シェー」は、人気アニメ「おそ松くん」に出てくるお決まりのポーズからとったものだろう。といっても、私はこのとき、意味もわからず、ただひたすら年上のマーちゃんの真似をしていたのだった。

お調子者、はこの頃からかもしれないなぁ。

 着ぶくれて我が一生も見えにけり   五十嵐播水

| | Comments (0) | TrackBack (0)

着ぶくれて

小林一茶ゆかりの地である千葉県流山。流山(ながれやま)は、私の第二の故郷のようなもの。幼稚園に入園するまでの一時期をこの地で過ごした。幼年時代の思い出の地、といえるだろう。

総武流山電鉄というローカル線の終着駅。今もほとんど変わっていない、ちっちゃな駅舎。

目の前の国道を渡ってすぐ、当時としてはモダンであった(と思う)円形のショーウィンドゥにプラモデルなどが飾られてあった店舗の角を曲がるとすぐ我が家があった。お向かいは畳屋さんか、工務店だったと思う。

同じ敷地の中に、年上のいとこのマーちゃん、ハヂメくんの家もあった。というより、父母と弟(まだよだれかけをしている赤ん坊)と私の4人の家族は、当時、母の姉、つまり伯母夫婦(マーちゃん、ハヂメくんの親)の自宅のはなれを借りて暮らしていた。一戸建を建てる間の仮住まいだったようだ。

広い庭には、伯父がつくってくれた木のベンチにロープを繋いだブランコや砂場もあった。その私設遊園地で、いとこの姉弟と私と弟の4人は、いつも転げまわっていた。

手先が器用な伯父は、私たちに、その頃すでに珍しかった竹馬もつくってくれた記憶もある。私はついに満足に乗ることができなかった、と思う。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

« November 2004 | Main | January 2005 »