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October 2004

頭の中で白い夏野となつてゐる ②

「頭の中で」は、作者の内面に広がる心象風景を、詩的映像として俳句に表現することに成功した先駆的な「新興俳句」として高い評価を得ている。

この句に続いて、

 しんしんと肺蒼きまで海の旅       篠原鳳作

 戦争が廊下の奥に立つてゐた      渡辺白泉
 
 水枕がばりと寒い海がある        西東三鬼
 
 蝶墜ちて大音響の結氷期         富澤赤黄男

といった新興俳句を代表する作品が生まれている。

窓秋の死から数年後に刊行された『高屋窓秋俳句集成』(沖積舎 定価10000円+税)を手にして、まず驚いたのは、扉のモノクロ写真である。

窓秋という俳人(75歳のとき)の姿を初めて目にした。

ネクタイにスーツ姿の窓秋は、背筋の伸びた気品ある老紳士といった趣き。

ちなみに、代表句「頭の中で」は、窓秋22歳のときの作品。

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頭の中で白い夏野となつてゐる ①

「アタマノナカデシロイナツノトナッテイル」

目を閉じて、そうつぶやくたび、まぶしいほどに明るく輝かしいひかりのイメージが現れる。

「頭の中で」しゅわしゅわと炭酸がはじけ、どこか別の時空へ誘われるように。

そのうち、なつかしく、せつないほど茫洋とした、締めつけられる心持ちになる。

「白い夏野」という、どこまでも白く抽象的なイメージが広がって、焦点を結ばないまま、いつしかフェイドアウトしてしまう。

「頭の中で」句に、難解な言葉や人を驚かすような表現など、微塵もない。

「~で~と~ゐる」という形式は、やや説明的で散文的と思うかもしれない。

しかし、緻密な構成力と、潔癖な美意識、俳句表現の新しい可能性を感じさせ、いつでもみずみずしく、私の胸を打つ。

タカヤソウシュウ(高屋窓秋)という俳人について、ほとんど何も知らなかったのに、有名なこの一句のおかげで、いつのまにか私は、ソウシュウのことをわかったような気さえしていた。

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オススメの1冊『草影』 ④

『草影』が編まれた歳月は、時代を代表する俳人が次々と逝去された歳月でもあった。

この句集の特徴として、すぐれた追悼句が多いことも忘れられない。

赤芋の地中に太り耕衣の死    悼永田耕衣氏

秋の富士吾より先に逝きしはや  悼上田五千石氏

丹波路の稔田の黄や綾子逝く   悼細見綾子さん

海青く花咲くまでの幹と枝    悼高屋窓秋氏

黒揚羽現れてこの世のひと悼む  故飯島晴子さん

歩み来し能村登四郎白絣     悼能村登四郎氏

冬霧の海に消えゆく振りむかず  悼三橋敏雄氏

寒に逝くまこと俳句の鬼として  悼佐藤鬼房氏

桂さんは、日常生活の中で、身体感覚を人生の受けとめ方や生き方へと昇華し、素朴に、愚直に、純粋に、一心に俳句に詠み続けてきたのだろう。

生きることと作句することが等価である生き方。俳人としてだけではなく、人間として、女性として、非常に魅力的な生き方がここにある。

命ある限り俳句とともに歩み続ける、俳人としてまっとうする生き方――それは、俳句という詩型が持つ、揺るぎなさといってもよいだろう。

俳句の力とその素晴らしさを再確認させられた。

(初出「炎環」2004年2月号 編集長オススメの1冊)


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オススメの1冊 『草影』 ③

私が、桂信子という俳人を最も強く意識したのは、数年前のこと。復本一郎さんの「『本当の俳句』とは」というコラム(朝日新聞)で、「俳句」誌の「証言・昭和の俳句」での、当時84歳の桂さんの発言である。

「黛まどかさんの俳句、『月刊ヘップバーン』とか、それもよろしいですよ。ストレスの解消になっていいと思いますけど、そういうのとこっちの俳句と一緒にされると困る。いちおう私たちは本当の俳句を守っていかねばいけない」

「そういうのとこっちの俳句を一緒にされると困る」と、「恋の俳句」の旗手とそれをもてはやす風潮を一喝。

「ストレス解消俳句」とは、言い得て妙。

新興俳句を継承する数少ない女性俳人として、恋愛俳句の先駆者として、凛とした気骨あふれる一面を見せつけられた気がした。

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オススメの1冊 『草影』 ②

さて、桂さんというと、

ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき

やはらかき身を月光の中に容れ

ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ 

すすき野に肌あつきわれ昏れむとす

湯上りの肌の匂へり夕ざくら

衣をぬぎし闇のあなたにあやめ咲く

逢ひし衣を脱ぐや秋風にも匂ふ

といった、深い詩情と鮮烈な感覚をたたえた句の数々が思い浮かぶ。

いずれも、自らの肉体の中に言葉を引き込み、女性の香りや体温を色濃く感じさせる。その独得の世界が、桂さんの句の特徴であり、そこに私たちをひきつける魅力がある。

「ひとづまに」。ひらがなを並べたところが、いかにも柔らかそう。

「ゑんどう」を煮る、そんなささいなことにも、自分が人妻であることを意識している、初々しさと艶っぽさが表現されている。

「すすき野に」。肌あつきまま昏れようとしているのだから、これから一体どうなるのか。意表を突くなまめかしさがある。当時の俳句表現としても、大胆だったことだろう。

このように初期から、桂さんの句には、「やはらかく」「ゆるやかに」といった言葉がよく見られる。

そこから見えてくるのは、本能的ともいえる自己の肉体への執着だ。清潔なエロティシズムに溢れた光彩を放つ。

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オススメの1冊 『草影』 ①

俳人・桂信子さんの卒寿を記念した第十句集(ふらんす堂・定価3000円+税)である。品の良さとなつかしさを感じさせる装丁と本文デザイン。平成8年から14年3月まで年次順に編まれている。

題名は、集中の「冬麗や草に一本づつの影」より。主宰誌「草苑」といい、句集『草樹』といい、桂さんは、「草」という字がお好きなようだ。

一読して、あらためて思ったのは、桂信子という俳人の志の高さ、気概、いつも己と自然にきちんと向かい合っている姿勢である。

さらに、草とは、俳人・桂信子の人生を貫く香気であり、草影とは、そのたたずまいそのもの、と思った。

「炎環」の石寒太主宰も、「年輪を感じさせる」「ある年齢に達した桂信子という俳人の、ごく自然な顔が、そのままあらわれている」と高く評価されている。

初御空いよいよ命かがやきぬ

元日や如何なる時も松は松

雪たのしわれにたてがみあればなほ

春を待つおなじこころに鳥けもの

いつの世も朧のなかに水の音

囀りや大樹の昏きところより

一心に生きてさくらのころとなる

夕ざくらやさしきものはやはらかし

亀鳴くを聞きたくて長生きをせり

粋といふこの一筋の涼気かな

黒揚羽現れてこの世のひと悼む

月の中わが魂いまは珠なして

いつ遺句になるやも知らずいぼむしり

これらの句は、一見、平明な感慨句のように見える。

しかし、いつも感覚をとぎすまし、天と地、此岸と彼岸のあわいで、外界からの魂のよびかけを待っているかのような、透明感あふれる自在な境地を思わせる。

自然の移ろいの感じ方にしても、思想性や自然観というより、自らの体感に触発されての作品が非常に多い。

頁を繰りながら、毎年、毎日俳句大賞の選者をつとめておられる桂さんの、授賞パーティでお見かけするお姿を思い浮かべた。

常に童女のようなほほえみを浮かべ、身のこなしも声も、やさしく魅力的であった。

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野鳥保護区

のうぜん花牛乳店の屋根上がる

昼寝覚め胸ポケットの社員証

うつせみのきのふのきみのかたちあり

刃物屋のうすくらがりや桃匂ふ

苦瓜食む暴風圏のしづかなり

耳遠くなるよ蜻蛉の群の中

瓢箪のゆるきくびれの耽美かな

濡れやすき眼なりけり鳥渡る

狩宿や迷彩服の干されあり

冬麗のくちびる野鳥保護区かな

冬青空わたしの羽音ありにけり

白鳥の餌付の青きバケツかな

初凪の野鳥病院灯りをり

夕闇を翔び立つ鴨の力こぶ

冬の月干潟の小さき穴あまた

虚子とのみ墓石にあり冬ぬくし

ボクシンググローブ真つ赤鬼やらひ

雲雀野へひらく鏡のくらさかな

水温むひらたく伸びし犬の舌

早春の筋肉質のさるすべり

庭にあった鳥のエサ台には、スズメ、メジロ、ヒヨドリ、オナガ、ヤマバトなど、さまざまな野鳥がひっきりなしにやってきてはエサを啄んでいた。

ある日、庭石の上にじっと佇む鳥を見つけた。ヒヨドリほどの大きさだが、赤茶色の姿は明らかに違う。

野鳥図鑑で調べたところ、渡り鳥であることがわかった。

途中で雨が降ってきたが、その鳥は微動だにしない。

私は、息をひそめて、珍しい来訪者を見守っていた。

(「炎環」15周年記念号 特別作品20句)

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